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織田信成 (フィギュアスケート選手)
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概要
デヴィッド・ウィルソン

ローリー・ニコル
宮本賢二元振付師セバスチャン・ブリテン
ニコライ・モロゾフ所属クラブトラロックエンターテインメント所属[4]週間練習時間33〜35開始1990引退2013ISUサイトバイオグラフィISU パーソナルベストスコア合計スコア262.98 2013 ネーベルホルン杯ショート87.65 2009 GPファイナルフリー175.64 2013 ネーベルホルン杯国内競技会成績・シングル全日本選手権 優勝 2008
受賞
イクメン・オブ・ザ・イヤースポーツ部門 2015
指導者情報元役職関西大学アイススケート部監督
 
獲得メダル
フィギュアスケート
国際競技会
大会123
四大陸選手権100
グランプリファイナル022
世界国別対抗戦001
ユニバーシアード110
世界ジュニア選手権100
合計333
四大陸選手権
2006 コロラドスプリングス男子シングル
世界国別対抗戦
2009 東京団体
グランプリファイナル
2006 サンクトペテルブルク男子シングル
2009 東京男子シングル
2010 北京男子シングル
2013 福岡男子シングル
ユニバーシアード
2007 トリノ男子シングル
2011 エルズルム男子シングル
世界ジュニア選手権
2005 キッチナー男子シングル
■テンプレート ■選手一覧 ■ポータル 織田 信成(おだ のぶなり、ラテン文字:Nobunari Oda、1987年3月25日[2] - )は、2000年代から2010年代にかけて活躍した日本フィギュアスケート選手(男子シングル)。プロフィギュアスケーター。大阪府高槻市出身。最終学歴は関西大学大学院文学研究科総合人文学専攻身体文化専修博士前期課程修了。学位修士 (文学)[5]。関西大学アイススケート部前監督。

主な成績に2010年バンクーバーオリンピック7位、2006年四大陸選手権優勝、2008年全日本選手権優勝、2005年世界ジュニア選手権優勝、2009年・2010年GPファイナル2位、2006年世界選手権4位など。

アマチュア引退後は、トラロックエンターテインメントに所属し、プロスケーター・スポーツ解説者・TVタレント指導者などで活動している[6]。2017年4月1日付で母校関西大学スケート部監督に就任した[7]

2019年9月9日、同日付で関西大学アイススケート部監督兼コーチを退任したことを関西大学が発表した[8]

人物[編集]

大阪府高槻市出身。大阪府立阿武野高等学校卒業。卒業後は関西大学文学部英語英文学専修に進学[9]。2010年4月2日、関西大学学長表彰を受彰した[10]。同月22日、中学時代の同級生だった女性(当時妊娠4か月)と婚姻届出。10月1日、第1子の男児が誕生[11]2011年3月19日に大学を卒業、4月から同大学大学院文学研究科修士課程に入学した[12]
2013年1月5日には第2子の男児が誕生[13]2015年3月23日に大学院を修了[14]。2016年11月7日には第3子の男児が誕生[15]。2019年10月、自身が出演する情報番組で 第4子の女児が誕生したことを報告した[16]

あくまでも自称であり、「祖父が言っていたから」というレベルの話である。祖父・重治、父・信義は大阪通管工業所の創業者[17]織田信長から数えて17代目の末裔(旗本高家の織田信高の系統)にあたる[18]と自称しているが、家系図の曽祖父の欄が空欄であり、信長に繋がる曽祖父の氏名や出自や、その先代とのつながりを誰も知らない(実際の曽祖父の氏名や出自を知っているかは不明である)。家系図の空欄は信成自身もしっており、TV番組内で自分自身で空欄の存在について発言している。また幼少の頃からスケートの大会などで幾度と無く京都を訪れているが、関西のTV番組の企画で本能寺を訪れた時には本能寺の場所さえ知らなかった。
織田家の末裔と自称していることは海外でも紹介されている[19]デヴィッド・ウィルソンが2004-2005シーズンのフリープログラムに『座頭市』を選んだのも信長にちなんだとのこと[20]
テレビ番組で「戦国三武将で有名なホトトギスの歌を詠むなら」とインタビューされた際は「鳴かぬなら それでいいじゃん ホトトギス」と詠んだ[21]。2010年1月には愛知県清須市の「清須越四百年事業」のPR役として信長も居城とした清洲城名誉城主に就任した(任期は1年間)[22]。 非常に涙もろく、現役時代から人目憚らず号泣するシーンが数多い。2005年10月のスケートカナダでは、7位に終わったショートプログラム後に悔し涙に暮れたが、大逆転のフリースケーティング後には嬉し涙を流し続けている[23]
特に2005年12月のNHK杯では、初優勝が決まった瞬間にキス・アンド・クライでは大声をあげながら大号泣、母親コーチの織田憲子が笑いながらそれを宥める姿が全国に大きく放映され、織田を一躍有名にした。
他にも、2013年12月の全日本フィギュアスケート選手権鈴木明子が28歳の最高齢で同大会初優勝を果たした時を初め、翌2014年2月開催のソチオリンピックで良きライバルだった高橋大輔に中継で声を掛けた際、さらに浅田真央がほぼノーミスのフリーを滑りきった時や2017年4月に浅田の現役引退表明にコメントを求められた際、そして2018年2月の平昌オリンピック羽生結弦が五輪2大会連続金メダル宇野昌磨銀メダル獲得のワンツーフィニッシュ達成時など、思わず泣き出す場面がテレビでそれぞれ放送されている。
その「泣き虫キャラ」がすっかり定着した織田は、2014年4月にフジテレビ系列「アウト×デラックス春の面会スペシャル」の放映出演時に、織田自ら「僕よく皆さんに『いい人ですね』って言われるけど、ただよく泣くだけ。全然良い人じゃない」などと泣きながら困惑。当番組の司会矢部浩之が「もう泣き止みなさい」と親のように声を掛けると、織田は「だから僕は表舞台から消えたいんです…例えコーチをしても大会には帯同しない」と、裏方に廻りたいと打ち明ける。その言葉に対してマツコ・デラックスが「ダメよ、あなたは表舞台に出る人なの!」と説得すると、織田は「そう言って頂けるのが凄い嬉しくて…もう本当に生きてるだけで十分なので」と余計に涙が止まらなくなっていた[24]

技術・演技[編集]

勝負強く、本番で練習以上の力を出すこともしばしばあった。他方、規定に反してザヤックルール違反やコンビネーションを跳び過ぎて、高難度ジャンプの得点が無効になってしまうことが、過去に公式試合で9回もあった[25]。そのため、織田が出場していない大会の、外国のTV中継中においてすら「ザヤックルール違反と言えば日本のOda」と話題にされた。日本のフィギュアファンの間では他選手であってもザヤックルール違反を俗に「オダる」と呼ばれることもある。

身体の柔軟性が高く、またスピンはバリエーションが豊富である。演技の流れの中で跳ぶジャンプは評価が高く、膝と足首を柔らかく使った着氷も美しいとされていた[26]。3回転アクセルは2005年世界ジュニア選手権の公式練習で初めて成功した[27]

経歴[編集]

母の織田憲子が元スケート選手で、兄や姉もスケートをしていたため、自然な流れで7歳からスケートを始めた[28][18]。しかし、小学生の頃はスケートを続けているとお金がかかって親に負担がかかってしまう為、スケートを止めたいと思っていた[29]
1998-1999シーズン、全日本ノービス選手権8位。1999-2000シーズン、全日本ジュニア選手権27位。2001-2002シーズンは左腕を骨折したため競技会に出場しなかった[30]

2004-2005シーズン、城田憲子の紹介でカナダのリー・バーケルのもとへ渡る[30]。初めのうちは英語も分からず苦しんだが、ジェフリー・バトルらとの練習を通じて成長した[31]世界ジュニア選手権で優勝。同大会男子シングルで日本人が優勝したのは、2002年大会の高橋大輔以来2人目。女子シングルの浅田真央とともに日本勢のアベック優勝となった。

シニアデビュー以降[編集]

2005-2006シーズンから本格的にシニア参戦。グランプリシリーズスケートカナダで3位、NHK杯では初優勝を果たし、本田武史、高橋大輔に続く日本人男子3人目のグランプリシリーズ優勝者となった。トリノオリンピック代表がかかった全日本選手権では、初め優勝と発表されたものの、採点ミスが明らかになり2位に訂正される(詳細は第74回全日本選手権を参照)。この結果、代表選考ポイントでも僅差の2位となり、トリノオリンピック出場を逃した。年が明けてからは四大陸選手権を制し(同大会での日本人男子シングルの優勝者は本田武史以来2人目)、世界選手権でも4位入賞。日本男子シングル出場枠を1から2に増やした。また練習面で、体力面で他の選手に劣るという指摘を受け、松本整の下で筋力トレーニングに取り組み始めた[32]

2006-2007シーズン、スケートアメリカで優勝し、NHK杯では高橋大輔に次いで2位。2年連続で進んだグランプリファイナルでは銅メダルを獲得した。世界選手権ではSPで14位と出遅れたが、プログラムを『ミッション:インポッシブル』に変えて臨んだFSでは冒頭の3回転アクセル-3回転トゥループ-3回転ループから次々にジャンプを成功させて追い上げ[33]、総合7位に入った。同時に、高橋大輔が2位になったため、2人の順位合計により、翌2008年大会の日本男子シングル出場枠は最大の3枠となった。2007年1月に開催された第62回冬季国体群馬大会スケート競技に出場し、SP・FS共に1位で優勝。

2007年3月の誕生日で20歳になったが、同年7月27日の未明、大阪府高槻市内ミニバイク酒気帯び運転により警察に摘発された。織田は「前日に大阪市内で関西大学アイススケート部の顧問(同大学の学生センター長)などと酒を飲みながら競技活動と学業の両立を相談した後に、『(自宅のある高槻方面への)電車で寝過ごして時間も経っていたので、酔いもさめた』という自己判断でミニバイクを運転していた」とコメントしている[34]。この摘発を受け、日本スケート連盟は、織田の大会への出場停止(国際大会5ヶ月、国内大会3ヶ月)と特別強化指定選手5ヶ月間解除の処分を通達し、スケートカナダエリック・ボンパール杯への派遣を中止した[35]。復帰戦として注目された11月の西日本選手権は、「調整の遅れ」を理由に欠場。代わって12月の全日本選手権での復帰を予定していたが、開催直前に「過度の精神的重圧」などの理由で欠場した。[36]。これらにより、四大陸選手権世界選手権の出場権利を得られず、年明けの各アイスショーにも参加しなかった。

2008年4月、ニコライ・モロゾフのコーチ就任を発表[37]。アイスショーにも復帰した。2008-2009シーズンが始まると、ネーベルホルン杯カールシェーファーメモリアルと立て続けに優勝。国内でも西日本選手権を制し、グランプリシリーズ復帰戦となるNHK杯でも優勝。全日本選手権でも優勝した。世界選手権では、SPでフェンスに激突し、FSでジャンプの回数規定違反を犯しながらも、初めて4回転トゥループ-3回転トゥループのコンビネーションジャンプを成功させ総合7位になった[38]。同大会で6位だった小塚崇彦との順位合計が13となり、翌2010年バンクーバーオリンピックの出場枠「3」を辛うじて確保した。

バンクーバー五輪出場・7位入賞[編集]

2009-2010シーズン、エリック・ボンパール杯中国杯グランプリシリーズで連勝。グランプリファイナルでは2位と好成績を残しオリンピック日本代表に内定した。[39]バンクーバーオリンピックでは、SPでは4位と好発進だったが、FSで後半靴紐が切れたことによる演技の一時中断と、転倒による計3点の減点が響いて7位入賞に留まった(高橋大輔が3位入賞・銅メダル獲得、小塚崇彦は8位入賞)。世界選手権ではSPですべてのジャンプに失敗し28位となり、FSに進めなかった。

2010-2011シーズン、スケートカナダスケートアメリカともに2位に終わる。グランプリファイナルではSPでは初めて4回転トゥループ-3回転トゥループのコンビネーションジャンプに成功し1位となったが、FSでは2度のジャンプの転倒があり3位。総合では2位となった。世界選手権ではSPで2位につけながらも、FSでまたもジャンプの回数違反を犯し、総合6位に終わった。

2011-2012シーズン、かねてからの左膝蓋骨靱帯炎の治療と、膝以外の使える筋肉を使ってのトレーニングを続けながら挑んだグランプリシリーズ初戦の中国杯では2位に入ったが、第2戦のエリック・ボンパール杯では7位と沈み、3年連続グランプリファイナル進出はならなかった。全日本選手権は左膝の故障のため欠場。

2012-2013シーズン、左膝の治療とトレーニングがほぼ完了。挑んだグランプリシリーズスケートカナダ3位、ロステレコム杯5位となり、GPファイナル進出は叶わなかった。世界選手権代表をかけた全日本選手権では、SPでは転倒があり5位。FSでは4回転を決めたが、3回転アクセルの1度目で手をつき、2度目に転倒。総合で4位となり、世界選手権出場を逃した。2013年1月の第68回冬季国体(東京)に出場し、SP・FS共に1位で国体2度目の優勝。

2013-2014シーズン、ネーベルホルン杯ではSP、FSともに4回転ジャンプに成功。FSと合計スコアの自己ベストを更新し、2位に大差をつけ圧勝。スケートカナダでは、SPは2位発進するも、FSではジャンプのミスが響き、総合3位。NHK杯はSPは3位、FSは健闘し総合2位となった。GPシリーズ総合ポイントランキングは7位だったが、高橋大輔が怪我により欠場したため繰り上げとなり、3シーズンぶりのグランプリファイナル進出が決定した。グランプリファイナルではSP、FS共に3位で、総合3位に入った。ソチオリンピック出場を懸けて臨んだ全日本選手権ではSP冒頭の4回転が3回転になるなどし、5位とやや出遅れた。FSではほぼノーミスの演技を行い3位と健闘したが総合4位に終わり、2大会連続のオリンピック出場は逃した。

現役引退後[編集]

2013年全日本選手権の終了直後、日本スケート連盟は2014年四大陸フィギュアスケート選手権 中華民国)の日本代表選手の一人として織田を選出した。しかし「(織田自身のコメントに拠れば)これからは若い選手に頑張って欲しい」という意向から、四大陸選手権の出場権を辞退(代替選出の選手は無良崇人。結果は優勝)。全日本選手権のエキシビション(12月24日)で演技を終えた直後、織田選手自身がリンク上からマイクを通じて、現役を退くことを発表した[40]。その後に開かれた引退会見では、「鳴かぬなら 泣きに泣きます ホトトギス」という自作の句を披露した。

現役を引退した直後のソチオリンピックの開催期間中、『FNNスーパーニュースアンカー』(関西テレビが平日の夕方に放送中のローカルワイドニュース番組)で自身初の「スポーツコメンテーター」を担当[41]。その後もスポーツ関連番組やバラエティ番組のゲストとして、自身現役時代の体験談や、ライバル・新旧の日本代表選手に関するエピソードを語る機会が多い。2014-2015年シーズンの開幕以降は、スケート大会の実況解説者として活躍が増えている。

またアイスショーやレギュラー番組など出演の傍らで、メダルウィナーズオープンフィギュアスケートジャパンオープンのプロアマ混合大会に出場。ジャパンオープン2016においては、4回転トウループ-3回転トウループのコンビネーションを成功させ、非公認ながら現役時代のパーソナルベストを超える178.72点の得点を出した[42]

ジャパンオープン2018においても、4回転トウループ-3回転トウループ、更に3回転アクセル-1オイラー-3回転サルコウの難しいコンビネーションジャンプを決め、新ルールによりジャンプの回数が1回減っているにも関わらず、現役時代のパーソナルベストを超える176.95点の得点を出した。

2017年4月11日、関西大学梅田キャンパスにて関西大学アイススケート部監督就任会見を行う。

2019年9月9日、「多忙が理由」との理由で大学側より関西大学スケート部監督の退任が発表されるが[43]、織田本人は同月29日の公式ブログで「リンク内で私に対して嫌がらせやモラハラ行為があり、その影響で今年春頃から体調を崩すようになった」と「多忙」による辞任を否定し[44][45][46][47]、10月14日の公式ブログでは織田側から見た経緯を説明した[48]。しかしモラハラを行ったとされる濱田美栄コーチは週刊文春の取材に対し「いやいや、元々彼はリンクにいませんよ。今年からではなく初めから。解説者もやってタレントもやって、片手間で監督やるのは大変やと思います」と反論しており[49]、当事者同士の言い分は真っ向から対立するかたちとなっている。

11月18日、織田はハラスメントを行っていたとされるコーチの濱田[50]に対し1100万円の損害賠償請求訴訟を求めて大阪地裁に提訴、大阪司法記者クラブで代理人弁護士同席のもと泣きながら記者会見を行った。訴状によると、濱田の無視・陰口などの嫌がらせにより精神的な苦痛を受け、40度を超える発熱や筋肉の震えなどで3月26日〜4月2日にかけて大阪・高槻市内の病院に入院、以降も恐怖や不安から身体の変調が続いていると主張している[51][52][53][54][55][56][57]。会見の席上では、弁護士が濱田に対する提訴のほか大学に対しても織田に対する救済措置を講じるよう求めたことを明かした[58]

19-20シーズン中の提訴となったことについては「シーズン前に解決したかった。シーズン中にこういうことになってしまったのは残念」と話している[59]

関西大学は織田の提訴に対し「アイススケート競技がシーズンに入り、多くの選手が練習に懸命に取り組んでいる時期に提訴がなされたことは大変残念」とするコメントを発表した[60]。また12月10日には、同月6日に行われた選手の保護者説明会での要望があったとして、織田からの7月1日時点での申し出に対する調査結果を発表した。10月から11月にかけて織田側に調査結果を通知しており、織田の要求については「妥当ではない」と結論付けている[61][62]

主な戦績[編集]

大会/年2001-0202-0303-0404-0505-0606-0707-0808-0909-1010-1111-1212-1313-14
冬季オリンピック

7
世界選手権477286
四大陸選手権14
世界国別対抗戦3
全日本選手権166532212244
GPファイナル43223
GPNHK杯1212
GPスケートカナダ3233
GPロステレコム杯5
GP中国杯12
GPエリック杯17
GPスケートアメリカ12
ババリアンオープン1
ネーベルホルン杯111
シェーファー記念1
ユニバーシアード21
世界Jr.選手権111
全日本Jr.選手権4321
JGPウクライナ記念3
JGPスケートロングビーチ4
JGPSBC杯3
JGPスケートスロバキア22
JGPトラパネーゼ杯7

詳細[編集]

2013-2014 シーズン
開催日大会名SPFS結果
2013年12月20日-23日第82回全日本フィギュアスケート選手権さいたま5
77.72
3
178.75
4
256.47
2013年12月5日-8日2013/2014 ISUグランプリファイナル福岡3
80.94
3
175.02
3
255.96
2013年11月8日-10日ISUグランプリシリーズ NHK杯東京3
82.70
2
170.46
2
253.16
2013年10月25日-27日ISUグランプリシリーズ スケートカナダセントジョン2
80.82
3
152.18
3
233.00
2013年9月25日-28日2013年ネーベルホルン杯オーベルストドルフ1
87.34
1
175.64
1
262.98
2012-2013 シーズン
開催日大会名SPFS結果
2013年2月6日-11日2013年ババリアンオープンオーベルストドルフ2
72.74
1
178.06
1
250.80
2012年12月20日-24日第81回全日本フィギュアスケート選手権札幌5
80.75
3
159.81
4
240.56
2012年11月9日-11日ISUグランプリシリーズ ロステレコム杯モスクワ8
63.18
2
154.74
5
217.92
2012年10月26日-28日ISUグランプリシリーズ スケートカナダウィンザー3
82.14
3
156.20
3
238.34
2012年9月27日-29日2012年ネーベルホルン杯オーベルストドルフ1
79.64
1
153.69
1
233.33
2011-2012 シーズン
開催日大会名SPFS結果
2011年11月18日-20日ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ7
62.95
9
104.25
7
167.20
2011年11月4日-6日ISUグランプリシリーズ 中国杯上海4
77.65
2
149.46
2
227.11
2010-2011 シーズン
開催日大会名SPFS結果
2011年4月24日-5月1日2011年世界フィギュアスケート選手権モスクワ2
81.81
9
150.69
6
232.50
2011年1月30日-2月5日ユニバーシアード冬季競技大会エルズルム1
77.04
1
146.11
1
223.15
2010年12月24日-27日第79回全日本フィギュアスケート選手権長野3
77.48
3
160.00
2
237.48
2010年12月9日-12日2010/2011 ISUグランプリファイナル北京1
86.59
3
156.22
2
242.81
2010年11月12日-14日ISUグランプリシリーズ スケートアメリカポートランド1
79.28
2
146.81
2
226.09
2010年10月29日-31日ISUグランプリシリーズ スケートカナダキングストン1
81.37
3
155.15
2
236.52
2009-2010 シーズン
開催日大会名SPFS結果
2010年3月24日-25日2010年世界フィギュアスケート選手権トリノ28
50.25
-28
2010年2月12日-28日バンクーバーオリンピックバンクーバー4
84.85
7
153.69
7
238.54
2009年12月25日-27日第78回全日本フィギュアスケート選手権大阪3
79.60
2
164.70
2
244.30
2009年12月3日-6日2009/2010 ISUグランプリファイナル東京3
87.65
3
155.71
2
243.36
2009年10月29日-11月1日ISUグランプリシリーズ 中国杯北京1
83.35
1
156.23
1
239.58
2009年10月15日-18日ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ2
79.20
1
163.33
1
242.53
2008-2009 シーズン
開催日大会名SPFS結果
2009年4月16日-19日2009年世界フィギュアスケート国別対抗戦東京3
79.35
4
149.90
3
229.25
2009年3月23日-29日2009年世界フィギュアスケート選手権ロサンゼルス7
76.49
8
141.67
7
218.16
2009年2月2日-8日2009年四大陸フィギュアスケート選手権バンクーバー6
75.04
3
145.22
4
220.26
2008年12月25日-27日第77回全日本フィギュアスケート選手権長野1
86.45
1
157.25
1
243.70
2008年11月27日-30日ISUグランプリシリーズ NHK杯東京1
81.63
1
154.55
1
236.18
2008年10月14日-17日2008年カールシェーファーメモリアルウィーン2
72.51
1
139.05
1
211.56
2008年9月25日-28日2008年ネーベルホルン杯オーベルストドルフ1
77.91
1
146.76
1
224.67
2006-2007 シーズン
開催日大会名SPFS結果
2007年4月29日-日2007年ジャパンオープンさいたま-1
150.59
1
団体
2007年3月19日-25日2007年世界フィギュアスケート選手権東京14
67.17
6
142.77
7
209.94
2007年1月17日-27日ユニバーシアード冬季競技大会トリノ2
75.96
2
148.74
2
224.27
2006年12月27日-29日第75回全日本フィギュアスケート選手権名古屋2
81.75
2
153.91
2
235.66
2006年12月14日-17日2006/2007 ISUグランプリファイナルサンクトペテルブルク4
69.15
2
147.71
3
216.86
2006年11月30日-12月3日ISUグランプリシリーズ NHK杯長野2
83.55
2
161.01
2
244.56
2006年10月26日-29日ISUグランプリシリーズ スケートアメリカハートフォード1
81.80
2
149.59
1
231.39
2005-2006 シーズン
開催日大会名予選SPFS結果
2006年3月19日-26日2006年世界フィギュアスケート選手権カルガリー1
36.23
3
78.25
5
136.73
4
251.21
2006年1月23日-29日2006年四大陸フィギュアスケート選手権コロラドスプリングス-1
77.29
2
124.40
1
201.69
2005年12月23日-25日第74回全日本フィギュアスケート選手権東京-2
79.90
2
138.80
2
218.70
2005年12月16日-18日2005/2006 ISUグランプリファイナル東京-4
67.13
5
129.92
4
197.05
2005年12月1日-4日ISUグランプリシリーズ NHK杯大阪-2
74.15
2
142.24
1
216.39
2005年10月27日-30日ISUグランプリシリーズ スケートカナダセントジョンズ-7
59.84
2
133.24
3
193.08
2004-2005 シーズン
開催日大会名予選SPFS結果
2005年2月28日-3月6日2005年世界ジュニアフィギュアスケート選手権キッチナー1
121.30
2
64.33
1
132.09
1
196.42
2004年12月24日-26日第73回全日本フィギュアスケート選手権横浜-4
60.81
3
124.83
3
185.64
2004年11月20日-21日第73回全日本フィギュアスケートジュニア選手権大阪-4
57.53
1
123.22
1
180.75
2004年9月30日-10月3日ISUジュニアグランプリ ウクライナ記念キエフ-2
59.20
4
108.61
3
167.81
2004年9月9日-12日ISUジュニアグランプリ スケートロングビーチロングビーチ-6
50.07
4
98.00
4
148.07
2003-2004 シーズン
開催日大会名予選SPFS結果
2004年2月29日-3月7日2004年世界ジュニアフィギュアスケート選手権ハーグ8101111
2003年12月25日-26日第72回全日本フィギュアスケート選手権長野-845
2003年12月11日-14日2003/2004 ISUジュニアグランプリファイナルマルメ-878
2003年11月21日-23日第72回全日本フィギュアスケートジュニア選手権京都-122
2003年10月16日-19日ISUジュニアグランプリ SBC杯岡谷-433
2003年9月18日-21日ISUジュニアグランプリ スケートスロバキアブラチスラヴァ-232
2002-2003 シーズン
開催日大会名SPFS結果
2003年3月13日-15日2003年ムラドストトロフィー ジュニアクラス(ザグレブ111
2002年12月19日-22日第71回全日本フィギュアスケート選手権京都866
2002年11月23日-24日第71回全日本フィギュアスケートジュニア選手権名古屋243
2002年10月31日-11月3日ISUジュニアグランプリ トラパネーゼ杯ミラノ1067
2002年10月3日-6日ISUジュニアグランプリ スケートスロバキアブラチスラヴァ322
2001-2002 シーズン
開催日大会名SPFS結果
2001年12月21日-23日第70回全日本フィギュアスケート選手権大阪161516
2001年11月23日-24日第70回全日本フィギュアスケートジュニア選手権東京734

プログラム使用曲[編集]

シーズンSPFSEX
2013-2014[63]映画『コットンクラブ』より
作曲:ジョン・バリー
振付:デヴィッド・ウィルソン
ウィリアム・テル序曲
作曲:ジョアキーノ・ロッシーニ
振付:ローリー・ニコル
映画『ラストサムライ』より
作曲:ハンス・ジマー
振付:ローリー・ニコル

Once Upon a Time in the West
作曲:エンニオ・モリコーネ
振付:織田信成
2012-2013[64]ラグタイム・ミュージック
振付:トム・ディクソン
The New Moon in the Old Moon's Arms
作曲:マイケル・ケイメン
振付:ローリー・ニコル
魔法使いの弟子
作曲:ポール・デュカス
ダフニスとクロエ
作曲:モーリス・ラヴェル
振付:ローリー・ニコル
ニューヨーク・ニューヨーク
ボーカル:フランク・シナトラ
振付:宮本賢二
2011-2012[65]メンフィス・ソウル・シチュー
振付:セバスチャン・ブリテン
映画『シェルブールの雨傘』より
作曲:ミシェル・ルグラン
振付:セバスチャン・ブリテン
アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ
ボーカル:デンザル・シンクレア
2010-2011[66]Storm
演奏:吉田兄弟
振付:セバスチャン・ブリテン
ピアノ協奏曲イ短調
ピアノ協奏曲ロ短調
作曲:エドヴァルド・グリーグ
振付:セバスチャン・ブリテン
踊り明かそう
ミュージカル『マイ・フェア・レディ』より
作曲:フレデリック・ロウ
ボーカル:ジェイミー・カラム
振付:坂上美紀
2009-2010[67]死の舞踏
作曲:フランツ・リスト
演奏:マクシム・ムルヴィツァ
振付:ニコライ・モロゾフ
チャールズ・チャップリンメドレー
作曲:チャールズ・チャップリン
振付:ニコライ・モロゾフ
ソウル・ボサ・ノヴァ
映画『オースティン・パワーズ』より
作曲:クインシー・ジョーンズ
振付:ニコライ・モロゾフ
スマイル
作曲:チャールズ・チャップリン
ボーカル:マイケル・ジャクソン
2008-2009[68]仮面舞踏会
作曲:アラム・ハチャトゥリアン
振付:ローリー・ニコル
ワルソー・コンチェルト
映画『危険な月光』より

作曲:リチャード・アディンセル
振付:ローリー・ニコル
歌劇『トスカ』より
作曲:ジャコモ・プッチーニ
振付:ニコライ・モロゾフ
2007-2008[69]映画『ミッション:インポッシブル』より
振付:デヴィッド・ウィルソン
アラウンド・ザ・ワールド
by レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
振付:宮本賢二
映画『ニューシネマパラダイス』より
作曲:エンニオ・モリコーネ
振付:織田憲子、杉田由香子
2006-2007[70]フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン
作曲:バート・ハワード
振付:デヴィッド・ウィルソン
映画『ミッション:インポッシブル』より
振付:デヴィッド・ウィルソン
交響曲第4番
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
振付:デヴィッド・ウィルソン
映画『ニューシネマパラダイス』より
作曲:エンニオ・モリコーネ
振付:織田憲子、杉田由香子
フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン
ボーカル:フランク・シナトラ
振付:デヴィッド・ウィルソン
2005-2006[71]セビリアの理髪師
作曲:ジョアキーノ・ロッシーニ
振付:デヴィッド・ウィルソン
映画『座頭市』より
作曲:鈴木慶一
振付:デヴィッド・ウィルソン
ルースター
振付:デヴィッド・ウィルソン
スーパーマリオブラザーズ
振付:デヴィッド・ウィルソン
2004-2005スーパーマリオブラザーズ[71]
振付:デヴィッド・ウィルソン
ルースター
振付:デヴィッド・ウィルソン[72]
2003-2004映画『ニューシネマパラダイス』より
作曲:エンニオ・モリコーネ
振付:織田憲子、杉田由香子[73][69]
禿山の一夜
作曲:モデスト・ムソルグスキー[71]
THE Rock
振付:織田憲子、杉田由香子[73]
Rhythm Delivery[73]
2002-2003エル・クンバンチェロ
作曲:ラファエル・エルナンデス
映画『マスク・オブ・ゾロ』より
作曲:ジェームズ・ホーナー[71]
トースト・オブ・ザ・タウン
by モトリー・クルー
2001-2002-

家系[編集]

織田信長から17代目の末裔と自称しているが、「曽祖父から遡って4代が不明となっている」など不明な点が多く、証拠となるものは示されていない[74]。2014年7月時点で曽祖父である13代の名前を出すと共に、10代から12代を省略した家系図を公表しているのみである[75]。また旧柏原藩織田家の当主である織田信孝によれば、大名となった各織田家の末裔[76]はどこも、信成がフィギュアスケート選手として有名になるまで信成の家系を認識しておらず、真に信長の末裔であるかどうかは判断できないという[77]

下図の長裕までは信高流の系図の抜粋であり、『寛政重脩諸家譜』による[78]。説明のために記すが長裕以降を保証するものではない。

仮に系図が真実であるとすると、血統的には信長の次男である信雄の男系子孫となる。

表彰歴[編集]

文部科学省国際競技大会優秀者表彰(2005年)
イクメン・オブ・ザ・イヤー 2015 - イクメンスポーツ部門(2015年)[81]

出演[編集]

ニュース・スポーツ番組[編集]

リオデジャネイロオリンピック(2016年8月、テレビ東京) - 中継キャスター [82]
平昌オリンピック(2018年2月、テレビ朝日) - フィールドリポーター

情報番組[編集]

ごきげんライフスタイル よ〜いドン!関西テレビ) - 2015年2月から水曜レギュラー[83]
みんなのニュース ワンダー(関西テレビ) - 2015年4月〜2017年3月 火曜レギュラー
あさチャン!TBS) - 2015年4月〜2017年12月 木曜レギュラー

バラエティ番組[編集]

クイズプレゼンバラエティー Qさま!!テレビ朝日)- 不定期出演
くりぃむクイズ ミラクル9(テレビ朝日)- 不定期出演
しくじり先生 俺みたいになるな!!(テレビ朝日)- 不定期出演
世界!ニッポン行きたい人応援団(テレビ東京、2016年4月 - ) - レギュラー(団長) [84]

ウェブテレビ[編集]

織田信成のフィギュアベマ!!!(2016年10月15日、AbemaTV)- MC
フィギュアベマ2〜世界フィギュアスケート国別対抗戦直前スペシャル〜(2017年4月16日、AbemaTV)[85]- MC
フィギュアベマ!!!3(2017年10月20日、AbemaTV)[86][87] - MC
織田信成のフィギュアベマ!!!!4〜GPシリーズ開幕前週スペシャル(2018年10月14日、AbemaTV)[88]- MC

テレビドラマ[編集]

二つの祖国(2019年3月23日 - 24日、テレビ東京) - 愛新覚羅溥儀[89]

テレビアニメ[編集]

ユーリ!!! on ICE(2016年12月14日) - 本人 役[90]

劇場アニメ[編集]

映画ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険(2017年3月4日公開) - パオパオ 役[91]
ゴーちゃん。〜モコと氷の上の約束〜(2018年3月19日公開) - 織田山くん 役[92]

CM[編集]

コナミデジタルエンタテインメント実況パワフルプロ野球2013阿須里家Ver. 「阿須里家」の一員として
アートネイチャー 阿須里家Ver. 「阿須里家」の一員として
マイクロソフトWindows 8」 阿須里家Ver. 「阿須里家」の一員として
宝くじ「2014年 年末ジャンボ7億円&年末ジャンボミニ7000万」『ライバル登場篇』シリーズ(2014年11月) - 米倉涼子原田泰造大久保佳代子と共演
キリンビバレッジ「キリンメッツ」ローラーメッツ編(2015年3月)
コロプラ スマホゲーム「東京カジノプロジェクト」(2015年7月)[93]
JOYSOUND 業務用通信カラオケ「JOYSOUND MAX」(2015年)[94]
国勢調査2015(2015年) - 広報大使も務める[95]
ほけんの窓口(2015年11月)「速水もこみち、信成と窓口体験。」篇 (30秒・15秒)「ご先祖さまのお言葉」篇 (WEB限定ムービー 30秒)
ショップジャパン(2016年3月)セラミックフライパン「セラフィット」 すべーる!スケート篇 [96]
大阪ガス エネファーム(2017年2月)「インタビュー・織田さん自家発電」篇 「インタビュー・織田さんエネシェア」篇
温泉型テーマパーク「空庭温泉」(2019年2月)

イメージキャラクター[編集]

ミュージカル『TOP HAT』大阪公演オフィシャルサポーター(2015年)[97]
シルク・ドゥ・ソレイユトーテム』日本公演スペシャルサポーター(2016年〜2017年)[98]

その他[編集]

ももいろクローバーZ「BLAST!」ミュージックビデオ - 卓球の監督として

出版物[編集]

書籍[編集]

フィギュアほど泣けるスポーツはない! (KADOKAWA、2008年1月)

脚注[編集]

出典:Wikipedia
2020/03/26 09:32
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