赤穂事件
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2.赤穂事件の経過
2.28.吉良義周の諏訪家お預け・夭折による吉良家の断絶
赤穂浪士の切腹と同日[115]、吉良家を継いだ吉良左兵衛義周を信濃高島藩主諏訪安芸守忠虎にお預けとされた[116]

幕府が義周の処分を命じた理由は、義父・吉良義央が刃傷事件の時「内匠に対し卑怯の至り」であり、赤穂浪士討ち入りのときも「未練」のふるまいであったので、「親の恥辱は子として遁れ難く」あるからだとしている[116]。ここで注目すべきは吉良上野介の刃傷事件の時のふるまいが「内匠に対し卑怯」であるとしている事で、幕府は赤穂浪士の討ち入りを踏まえ、刃傷事件の時は特にお咎めのなかった上野介の処分を実質的に訂正したのである[116]

義周はその後20歳余りの若さで亡くなり[116]、ここに吉良家(西条家、義央系)は断絶する事になった[117]。東条家(義叔系)が義央・義周亡きあと、三河吉良家(西条家)の祭祀ほかを継承している[118]

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出典:Wikipedia
2019/08/02 20:00
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