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赤穂事件
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2.赤穂事件の経過
2.12.吉良の屋敷替えと江戸会議
一方の吉良は3月23日[57]にお役御免となり、8月19日[57]には呉服橋の屋敷を召し上げられて、江戸郊外の本所松坂町に移り住む事になった。

大名屋敷の多い[58]呉服橋と比べ、人気のない郊外[57] にある本所はずっと仇討ちに適した場所であった[58]

討ち入りをしやすくするために吉良を郊外に幕府が移したのではないか、そんな噂が江戸に流れた[57]

幕府がなぜこの時期に屋敷替えを命じたかは不明だが、『江赤見聞記』巻四によれば、吉良邸の隣の蜂須賀飛騨守は、赤穂浪士の討ち入りを警戒していて出費がかさむという理由で老中に屋敷替えを願い出ていたというので、こうした事情が影響した可能性はある[58]

堀部ら急進派はこの屋敷換えを討ち入りの好条件ととらえ[57]、大石に討ち入りを迫った。

そこで大石は急進派を説得する為、9月はじめ頃に赤穂浪士の原惣右衛門、潮田又之丞、中村勘助の3人を派遣し、さらに10月に赤穂浪士の進藤源四郎と大高源五を派遣したが、どちらも逆に説き伏せられて急進派に同調してしまった[59]

そこで大石は11月2日に自ら江戸に下り、急進派を説得すべく会議をひらいた(江戸会議[57]。しかし上方から派遣した同志達が堀部等に同調してしまっていたこともあり、議論は堀部等が望む方向で一方的に進んだ[59]

堀部達は討ち入りの日の期限を決断するよう大石に迫り[57]、大石は浅野内匠頭の一周忌には結論を出したいと約束した[57]

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出典:Wikipedia
2020/02/05 10:31
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