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西蔵
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5.現行の枠組みの成立
中国共産党は、長征の途上、中国国民政府の支配下にあった(主要都市とその連絡路のみを確保する点と線の支配)カム地方東部を通過し、この地でチベット社会と接触を持った。この時期、共産党は少数民族に対して「民族自決権」を認めることを掲げており、「少数民族」は「民主自治邦」を樹立して、「中華連邦」に自由に加盟したり、離脱する権利を有すると謳っていた。共産党は、カム地方東部において、この政策のもと、占拠したカムの町々のチベット人たちに「波巴政府」を樹立させ、これらの合同会議である「波巴依得巴全国大会」を開催し、1935年、「波巴人民共和国」および「波巴人民共和国中央政府」を発足させた。「波巴」はチベット語「bod pa(チベット人)」の音写、「波巴依得巴」は 「 bod pa'i sde pa(チベット人の政権)の音写で、これらは実際にはカム地方東部の人々の参加しかなかったが、名義の上ではチベット「全国」の大会、チベット人の「中央政府」を標榜するものであった。この「人民共和国」は、共産党軍が去り、国民政府がこの地を再び支配下におさめるとともに、消滅した。

中国共産党は、国共内戦に勝利して1949年中国人民政府を樹立し、1950年までにディチュ河以東の地域にふたたび支配権を確立した。この時期の共産党はすでに「民族自決権」を積極的に掲げることをやめており、この時には、この地をチベット人の民族自治区として位置づけるにとどめ、その結果、西康省全域を領域とする西康省蔵族自治区が発足することとなった。

名義上は西康省に属するが、実際にはガンデンポタンの統治下にあったディチュ河以西の地は、1950年 - 1951年のいわゆる「西蔵和平解放」により中国の制圧するところとなった。中国政府はこの地を西康省蔵族自治区に組み込むことなく、中国政府に忠実な現地人に組織させた昌都解放委員会(チャムドかいほういいんかい)の管轄下のもと、引き続き西蔵に帰属させた。

1955年 、中国政府は西康省を廃止、自治州に格下げし、カンゼ・プーリー・ランキョン・クル(甘孜蔵族自治州)として四川省に組み込んだ。チベット動乱を経た1965年、西蔵においてチベット人の省級の民族区域自治単位である「西蔵自治区」が発足したが、隣接する各級の「チベット族(蔵族)」の民族自治州、県、郷はこの自治区に統合されることなく、現在に至っている。

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(4.「西蔵の分割」と「ガンデンポタンの勢力拡大」のせめぎ合い)
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(6.中国国内における現行の用例)
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出典:Wikipedia
2019/12/24 16:00
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