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聖像破壊運動
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1.東ローマの聖像破壊運動
1.2.政治・外交面での影響
聖像破壊論争によって、既に4世紀から文化的・政治的に亀裂が生じつつあった東ローマ皇帝・コンスタンティノポリス総主教とローマ教皇の関係は決定的に悪化した。800年にはローマ教皇がフランク王カールを「ローマ皇帝」に戴冠し、東ローマ帝国から完全に自立したのである。
いっぽう、東ローマ帝国内では、聖像製作者の拠点で、大土地所有者でもあった修道院(帝国の耕地の3分の1が修道院領だったという説もある)をコンスタンティノス5世らが徹底的に弾圧した結果、修道院領が没収され皇帝領となった。これによって、皇帝の権力基盤が強化され、古代ローマ帝国後期からはじめられた皇帝の専制君主化が完成へ向かうことになった。このため、そもそも聖像破壊運動自体が修道院勢力を弱体化させるためであったのではないか、とする研究者もいる。
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(1.1.概要)
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(1.3.聖像の神学的意義)
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出典:Wikipedia
2011/01/23 23:02
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