成田空港問題
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2.歴史
2.3.政府の強権的な姿勢による空港建設と反対運動の開始
しかし、三里塚においても御料牧場[5]ほか国や行政が保有している土地は空港予定地の4割弱に過ぎず、引続き民有地の土地取得が最重要問題となったが、富里・八街同様に事前説明の全くないままの発表であり、三里塚案を報道で知った地元住民は猛反発した。地元住民らは開拓地の借金問題、土地を失うことや騒音問題への懸念から「三里塚芝山連合空港反対同盟」(以下「反対同盟」と略記)を結成し、三里塚闘争を開始した。

関係者による説明・移転交渉、地権者団体との折衝の結果、1968年4月6日には新東京国際空港公団(以下、空港公団)と条件賛成派の覚書締結により民有地の89%が確保された。しかし、11%の未買収地が残ったうえ、反対派が強固に抵抗を続けたため、空港公団による買収地の測量も行えない状態が続いた。空港反対派への説明・対話が十分に行われないまま、現地に機動隊が投入され、排除を受けた反対派はこれに反発し、結果的に空港反対運動を過激化させた[6]

当初は、日本社会党日本共産党の革新政党から支援を受けていた反対運動だったが、反対派の主張に応じない政府の強権的な姿勢に対して、反対派農民が次第に「力には力で対抗する」という方針を固めたことにより、既成革新政党は反対運動から引いていった。これについて、かつて51年綱領を定めて武装闘争を行っていた日本共産党を、破壊活動防止法に基づき監視対象にしている公安調査庁[7]「社会・共産の両党が、反対運動を党勢の拡大に利用しようとしたため、農民から不信感を持たれた」と、1993年(平成5年)4月にまとめた『成田闘争の概要』で分析している[8][9]

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(2.4.新左翼の支援)
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出典:Wikipedia
2019/11/24 23:02
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