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杉浦忠
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2.プレースタイル
2.3.稲尾とのライバル関係
現役時代、同世代の大投手・稲尾和久とは対戦も多くライバルであったが、同時にマウンドマナーなど学ぶところも多く、稲尾の仕草を自分のものとするように努めたという。

稲尾との投げ合いになったある試合で、稲尾が投げた後の1回裏に杉浦がマウンドに行くと、1回表に稲尾が投げたのだから投球の際に踏み込んだ部分はそれなりに掘られているはずなのに、マウンドはきれいにならされていた。杉浦は「初回だからかな?」程度に思っていたという。しかし2回裏、3回裏、それ以降も同様にきれいにならされていて、ロージンバッグもすぐ手の届く位置に置かれていた。「もしや稲尾がならしているのでは?」と感じ、実際にその通りであったため、杉浦は稲尾を「すごいピッチャーだと思った」という。杉浦は「それからはすぐ稲尾の真似をしました」「(しかし)ぼくはピンチの後ではマウンドが荒れていることなどつい忘れてしまうのですが、彼はたったの一度も、マウンドが荒れた状態でぼくに(マウンドを)渡したことはなかった」と語っている[5]

1958年の秋、セントルイス・カージナルスを迎えての日米親善野球で、中西太、稲尾と杯を傾ける機会があった。杯を重ねるごとに、杉浦の語気が鋭くなり、やがて二人をつかまえて「太さん、稲尾、ここに座れ」「来年は絶対に勝つからな!」と息巻いたという。中西は「大逆転で優勝を逃がした悔しさが胸の中にたぎっているような声だった」と述懐している[40]。なお、杉浦は「途中からプッツンと記憶が切れてしまった」「あとから聞いた」と述べている[10]

野村が著書の中で頻繁に取り上げているエピソードの一つに、ある年のオールスター戦でベンチが一緒になった際、野村が稲尾の癖を熱心に研究していることを杉浦が喋ってしまい(杉浦は野村の研究熱心さを稲尾に誇るつもりで発言した)、稲尾が癖を直して対戦して来たため、新たに研究し直さなければならなくなったというものがある。野村は、「(三人で)セ・リーグの打撃練習を見てたら、杉浦が『サイちゃん(稲尾)、野村はよう研究しとるで』っていうわけだよ。そうしたら、稲尾の顔色がパッと変わった。それだけのことなんだけど、オールスターが終わって稲尾との初対決のとき、1球様子を見たれと思って見逃したら、インコースに来るはずの球が外角に。ありゃと思って稲尾の顔を見たらにたぁっと」と語っている[41]

なお、杉浦の自著[10]によると、稲尾と杉浦が投げ合って勝敗に関わった試合は、24勝24敗の五分である。

[4]前ページ
(2.2.各選手による評価)
[6]次ページ
(2.4.セ・リーグへの反抗精神)
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出典:Wikipedia
2020/02/18 21:00
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