水素爆弾
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2.開発の歴史
2.1.国家による開発の経緯
第二次世界大戦末期のころ、二重水素三重水素の熱核反応(D-T反応、D-D反応)を利用することで、広島・長崎級原爆の数十倍 -数百倍の爆発エネルギーを持たせた核兵器が開発できると見込まれていた。

そして第二次世界大戦末期のマンハッタン計画後、アメリカ合衆国でエドワード・テラースタニスワフ・ウラムらによって開発が進められ、1952年11月1日エニウェトク環礁で人類初の水爆実験、アイビー作戦 (Operation Ivy) が実施された。この作戦で米国はマイク (Mike) というコードネームで呼ばれる水爆の爆発実験に成功した。マイクの核出力は10.4メガトン (Mt) [3]であったが、常温常圧(例えば25℃、1気圧)では気体である重水素や三重水素を零下200度以下に冷却液化しなければならないため、そうした大規模な装置類の付属により、重量は65トンに及び、実用兵器には程遠いものであった[4]


第二次大戦中にアメリカは原爆開発技術を独占していたが、戦後はソ連も原爆保有国となった。アメリカはソ連に対抗するため、トルーマン大統領によって水素爆弾 (hydrogen bomb) の開発・製造命令を下した。

なお、この当時のアメリカ合衆国の水爆は、水素の濃縮のために液体の重水素を用いており、液化のため温度−260℃に冷却するための装置が付属したため巨大で実用化には至らなかった。

しかしソ連が重水素化リチウム (LiD) を用いることにより[5]、ソ連は1953年に実用化に至った[6]

詳細には、その1953年、ソビエト連邦が重水素などの熱核材料をリチウムと化合させて重水素化リチウム(固体)として用いた水爆の実験 (RDS-6) に成功した(一説には、当時のソ連のものは実は水爆ではなかったとも言われている)。リチウム方式では大掛かりな付属装置が不要なため水爆を小型軽量化できた。

その後、米国でも熱核材料をリチウムで固体化した水爆を完成した。1954年キャッスル作戦 (Operation Castle) が実施された。作戦の一つ、大幅な小型化を試みたブラボー (Bravo) 実験の成功により、小型化の成功が確認された。

さらに米ソ両国で核実験が続けられ1955年から1956年には爆撃機にも搭載可能になり核兵器における威力対重量比が格段に増大する結果となった。いわゆるメガトン級核兵器の登場である。中華人民共和国1967年6月17日に3.3メガトン (Mt) の最初の水爆実験に成功している。1976年11月17日には4メガトン (Mt) の実験に成功している。この後中国では重水生産工場の運転が開始されている。

2016年1月6日には、朝鮮民主主義人民共和国が4回目の核実験で水素爆弾の実験に初めて成功したと発表した。

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(1.1.物理学的な解釈)
[6]次ページ
(3.1.水爆による被害)
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出典:Wikipedia
2019/10/24 15:00
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