上野東京ライン
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2.歴史
2.1.計画に至るまでの過程
日本国有鉄道(国鉄)では第二次世界大戦前から東京駅 - 上野駅間には回送列車貨物列車を走らせるための回送線が存在し、戦後1946年7月に連合軍専用列車Yankee Limited」が初めて同線を直通する列車として設定され、1954年 - 1956年の山手線と京浜東北線の分離運転工事期間は上野駅折り返しだった国電常磐線が朝夕のみ有楽町駅まで、その後も東北本線・常磐線・高崎線列車が新橋駅まで朝晩の各1往復程度乗り入れていた。後年に「Yankee Limited」の後を引き継いだ急行十和田」が東京駅へ乗り入れ、特急ひたち」・「つばさ」・「ひばり」・「はつかり」・「やまびこ」・「とき」・「あさま」、準急日光」・「中禅寺といった列車に東京駅を発着する列車が設定されていた。準急「湘南日光」や通勤時間帯に設定されていた快速わたらせ」などは東京駅を越えて東海道本線にまで乗り入れていた[6]ほか、高崎線から東海道本線富士駅までを結ぶ中距離電車も1往復運転されていた[7]。また、お盆年末帰省ラッシュ時期には通常、上野駅始発である奥羽・磐越西線方面の夜行列車を品川駅始発とする措置が取られた。その際、山手貨物線経由とともに、荷物・新聞扱いの関係上、東京駅・上野駅経由の列車も運行された[8][9]。さらに、帰省時期には名古屋駅発(列車により静岡駅発などもあった)青森駅行き(列車により東北本線経由と常磐線経由の双方があった)の急行「あおもり」など、東京都心を串刺しにする長距離列車も運行されていた[10]

なお、東京駅 - 秋葉原駅付近は複線が敷かれていたものの、東側の線は東京駅の留置線・引上線として使用されており、実質、列車運行としては単線であった。東側の線は縦列に4本の列車を留置できるようになっており、境目には両渡り線がそれぞれ設置されていた。秋葉原駅付近で東側の線が車止めで途切れており、単線のみが敷設されている区間が僅かに存在した。ここまでが東京駅の構内であった。すぐ北で複線となった後に秋葉原貨物駅からの線路と合流し、秋葉原駅 - 上野駅間は本線としては複線であった(他に上野駅の引上線が1本敷かれていた)。このことから多数の列車を走行させるには適しておらず、旅客列車の乗り入れは限定的であり、部内でも「東京 - 上野回送線」と呼ばれることが多かった[11]

その後、東北新幹線敷設工事の用地問題や東京駅在来線ホームの縮小により、1973年4月限りで定期列車の東京駅乗り入れが中止となり、帰省時の品川駅始発列車の運行は1975年年末で終了[12][13]、わずかに残った郵便・荷物・回送・団体列車についても1983年1月31日限りで直通運転が廃止され、線路用地を新幹線に転用するために秋葉原駅 - 神田駅付近で線路が分断された結果、東北本線系統の列車は東京駅に乗り入れることができなくなった。残った線路は、上野駅側は御徒町駅付近から貨物駅の使命を終えた秋葉原駅の貨物ホーム付近までを留置線に転用したが、同駅周辺の再開発に伴い貨物ホームは撤去され、新たな留置線が建設された。東京側は東海道本線の列車の折り返し線に転用された。

新幹線は1991年6月20日に東京駅 - 上野駅間が開業したが、旧回送線線路用地を利用した区間は橋脚をさらに上空に継ぎ足せる構造で建設された。同区間には東北山形1992年7月1日 - )・秋田1997年3月22日 - )・上越北陸(同10月1日 - )の各新幹線が東京駅に乗り入れている。

新幹線開通後も山手線と京浜東北線と並行する東京駅 - 上野駅間には、中・長距離列車が運行されない期間がしばらく続いたが、これら路線を国鉄から継承して運行するJR東日本自身にとって乗り入れは悲願であった[2]

東北縦貫線の計画自体は1970年代の東北新幹線の計画と同時にあったが[11][14]国鉄分割民営化後具体化されたのは、1993年2月にJR東日本が山手線・京浜東北線の秋葉原駅 - 上野駅間や上野駅の混雑緩和のため常磐・東北・高崎の各線の運転区間を東京駅まで延長して東海道線と相互乗り入れする検討である。この計画では、とりあえず上野駅の留置線として使われている秋葉原駅 - 上野駅間の工事を先行し、まず常磐線の電車を秋葉原駅まで延長するという計画であった。この計画の背景は常磐新線(後のつくばエクスプレス)の開業による常磐線の旅客の逸脱を防ぐためであった。さらにその後、秋葉原駅から東京駅まで東北新幹線の2階部分に複線を建設して、東北線・高崎線・常磐線のいずれかを東海道線に乗り入れるとした。これに対して、神田地区の沿線から強い反対運動がおこり、計画が一向に進まないものとなった。この時点では、1997年に着工して10年程度で完成するという見通しであった。これは朝日新聞[15]にも取り上げられていた[16]

その後、1999年当時の運輸省による「都市整備調査」によって、東京 - 秋葉原間が230億円、上野駅構内が70億円の合計300億円に加え、秋葉原駅構内工事費として、駅を設置する場合が120億円、駅を設置しない場合が30億円とされた[17]

従来より、宇都宮・高崎線の中距離電車の東京駅乗り入れについて要望をしていた埼玉県もこの調査結果に注視するようになる[18]

調査結果を踏まえ、2000年運輸政策審議会答申第18号において「2015年までに開業することが適当である路線」に指定された[19]

この指定を受け、JR東日本は本格的な検討を開始、2002年3月27日2009年度末完成目標とする東京駅 - 秋葉原駅間の東北列車線建設工事計画を発表した[20]。これは旧・東北列車線を撤去して建設した東北新幹線の高架左右に確保されている高々架橋支柱設置スペースを利用して、さらに上層部に新・東北列車線を直上高架で建設する計画であった。コスト面や旅客流動予測から、上野駅 - 東京駅間に途中駅は設置しないことも決定した。

費用は調査時と同額の300億円と発表(後述の通り、後に400億円に訂正)。費用は全額JR東日本が自己資金で担うとした。

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(2.2.計画の遅れと変更)
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出典:Wikipedia
2018/12/05 23:02
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