上方落語
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2.歴史
2.6.平成期
平成に入っても、落語、漫才などいわゆる「お笑い(芸)」に対する世間の関心は下がらなかったが、「MANZAIブーム」以降、お笑いの主舞台は寄席から放送メディアに移る。その反面演芸番組は減少し、有力落語家のバラエティ番組への起用が相次いだ。この結果、落語家は「お笑い芸人」という抽象的名称の下に漫才師・漫談家・コント芸人と観客・視聴者レベルでボーダーレスとなり、落語の独自性を示す機会は狭まっていった。放送タレントとしてのお笑い芸人(実質上は漫才・漫談・コント。ただし彼らとて放送メディアで本来の芸を披露する機会は少ない)を希望する人材は多いものの、具体的に落語の世界に入る者は、昭和40年代に比べると少なくなっている。

これは東西とも同様の現象であるが、上方落語においては1999年(平成11年)に2代目枝雀が早世した影響も大きい。カリスマ性を持った人気者だった枝雀の穴は、容易に埋められるものではなかった。また、笑福亭松葉(追贈7代目笑福亭松鶴)、2代目桂歌之助桂喜丸4代目林家染語楼桂吉朝といった、将来を嘱望されていた戦後生まれの落語家の相次ぐ他界も痛手であった。そのような中、笑福亭鶴瓶らによる「六人の会」の活動や、4代目桂文我による古典の発掘作業、3代目桂小春團治笑福亭鶴笑らの海外公演(パペット落語)といった新たな動きもある。

また、元来お笑い芸人ないしお笑いタレントとしてテレビ等で活躍していた芸人が、芸人の飽和状態の中で自己の新しい芸をつけようと、落語を新たに始める例がある。多くは諸芸の一つとして落語を嗜んでいる程度に過ぎないが、山崎邦正(月亭方正)のように協会に加盟して本格的に落語を始める者、更に一歩進み、後藤征平(月亭太遊)や渡辺鐘(桂三度)のように従来のキャリアを捨てて落語家の道を選ぶ者も出はじめている。

2004年以降は、東京との交流が密接になった。「六人の会」主催の「大銀座落語祭」に参加する上方落語家が2008年現在114人にまで達し、東西落語家の親睦交流が深まる一方で、深川江戸資料館お江戸日本橋亭国立演芸場よしもと浅草花月などの主な演芸場における上方落語家出演も増えるなど、東京の落語愛好家にも上方落語が受け入れられている[19]。さらに、笑福亭鶴光のように落語芸術協会に加盟し、東京で弟子をとり上方落語の普及を目指すものもいる。

2006年9月15日には、上方落語協会によって戦後初の上方落語専門定席「天満天神繁昌亭」(後述)が開設され、これが大阪の観光名所の一つとして全国的に紹介されるに及んで当初の予想をはるかに上回る入場人員数を得続けている。また2007年10月から翌年3月まで放送された、上方女流落語家の半生を描いたNHK連続テレビ小説ちりとてちん」は関西を中心にマニアックな人気を博し、ドラマを見て上方落語に興味を覚えたという世代も現れた。ドラマ中で主人公の兄弟子役として出演した桂吉弥の落語会は放送以降、常に大入りの人気となっている。

2007年以降は、長く途絶えていた大名跡や著名な名跡が相次いで襲名され復活。2007年には桂歌々志が師匠の名跡である3代目桂歌之助を、2008年には3代目桂小米朝が半世紀ぶりに5代目米團治を、2009年には桂春菜が3代目桂春蝶を、2010年には笑福亭小つる6代目笑福亭枝鶴桂つく枝が5代目桂文三桂都丸が4代目桂塩鯛および都丸の弟子たちが4代目桂米紫・2代目桂鯛蔵を襲名。2011年以降も、桂こごろうが2代目桂南天を、月亭八天が7代目月亭文都を襲名、そして2012年には桂三枝が、桂一門の宗家名跡でもある6代目桂文枝を襲名した。ただし、この傾向については4代目桂文我からの批判もある[20]。戦後の「四天王」と呼ばれた落語家は、3代目桂春團治が2016年に死去したことで全員が鬼籍に入った[21]2018年に桂春之輔が4代目桂春團治を襲名し[22]、6代目桂文枝に続いて「四天王」の名跡を継ぐ形になった。

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出典:Wikipedia
2019/11/24 13:30
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