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松井やより
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1.人物
1961年東京外国語大学英米科を卒業して朝日新聞社に入社。社会部記者として福祉、公害、消費者問題、女性問題などを取材し、立川支局長、編集委員から1981年11月〜85年3月シンガポール・アジア総局員。1994年朝日新聞社定年退職。

朝日新聞社在職中の1977年に「アジア女たちの会」を設立し、退職後の1995年アジア女性資料センターを、1998年「戦争と女性への暴力」日本ネットワークを設立して代表となる。朝日時代から上智大学千葉大学日本福祉大学日本女子大学琉球大学の非常勤講師、横浜国立大学大学院の客員教授を務めた。

朝日新聞在職中の社会部のトップ時代に「強制」従軍慰安婦を取り上げた。

2000年12月に「戦争と女性への暴力」日本ネットワークなどが自主開催した「模擬裁判」女性国際戦犯法廷で国際実行委員会共同代表の1人となり、日本側主催者の代表となった。

2002年8月、韓国ソウルで開催された「軍事主義に反対する東アジア・米国・プエルトリコのネットワーク」に日本代表として参加。米国が展開している「テロとの戦争」が「軍事主義を強化し、女性と子どもへの暴力を増幅させている」と批判する声明を発表した[3]

2002年10月、渡航先のアフガニスタンにて体の不調を感じ急遽帰国。重度の肝臓ガンと診断され、ガンであることを公表したが、2ヶ月半の闘病後、同月27日に死去。68歳没[1]。葬儀は同年12月30日に東京山手教会で行われた。翌28日、朝日新聞は「私の視点」コーナーに、松井の寄稿文「託す「夢」 女性の平和資料館建設を」を掲載し、韓国東亜日報が追悼記事を掲載して[4]、その死を悼んだ。

松井の遺志を継ぐ「女たちの戦争と平和資料館」には、松井の蔵書を収めたコーナーがある。

NPO法人「女たちの戦争と平和人権基金」が「愛と勇気に満ち溢れたジャーナリストであった松井やよりの遺志に連なる活動の一助となること」を目的として、2005年に「やより賞」を設立した[5]。選考委員には中原道子や池田恵理子、竹信三恵子辛淑玉らが名を連ねている[6]

[6]次ページ
(2.慰安婦関連の活動)
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出典:Wikipedia
2019/11/11 20:02
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2020/02/22 更新
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