宗教改革
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5.正教会との関係
5.1.ルター派と総主教イェレミアス2世のやり取り
ルター派は当初、プロテスタント正教会の合同を模索し、テュービンゲンのルター派神学者、マルティン・クルシウス(Martin Crusius)とヤーコプ・アンドレー(Jacob Andreae)が署名した書簡を、正教会コンスタンディヌーポリ総主教イェレミアス2世に送った[9]

1573年10月15日、書簡を携えたルター派側の使節ステファン・ゲルラッハ(Stephen Gerlach)と総主教イェレミアス2世との最初の会見が行われ、会見の場は和やかな雰囲気に包まれた。ゲルラッハはその後すぐ、総主教の質素な服装と机、その人柄に感嘆した旨をチュービンゲンに書き送り、総主教からの返答が期待出来るとの報告を行った。クルシウスはこれに対して2通目の書簡を書き、1575年1月4日にはイェレミアスが友好的かつ慎重な返信を書いている[9]

この間、ルター派側ではフィリップ・メランヒトンにより、アウクスブルク信仰告白のギリシア語への翻訳作業が進められていた。クルシウスとアンドレーは、このギリシア語に翻訳されたアウクスブルク信仰告白を総主教イェレミアス2世のもとに送り、条項ごとの賛否の見解を示すよう依頼した。ちょうど総主教庁聖シノドの開会期間中の1575年5月24日、ゲルラッハはイェレミアス2世にギリシア語訳された信仰告白を渡した[9]

イェレミアス2世およびその教会における協力者達(主教、神学者、修道士達)は送られて来た「信仰告白」につき慎重に検討を重ねた。そして1576年5月15日、「アウグスブルクの信仰告白についての見解」がまとめ上げられた。この「見解」はチュービンゲンにおいて大いに歓迎されたが、イェレミアス2世は「見解」中において、信仰の源泉たる聖書聖伝[10]をめぐる、正教会とルター派の見解の一致点と相違点を、正教の教えを詳述しつつ指摘していた[9]

1577年6月18日にチュービンゲンからは、ルター派側による新しい教理を正当化する内容を含んだ書簡がイェレミアス2世に対して送られた。巡回に出掛けていたイェレミアス2世の手許に届いたのは1578年3月4日。イェレミアス2世は協力者達とともに、友好的ではあるがはっきりと、聖伝を守るよう父親のように教え諭す返信を書き送った[9]

1580年6月24日、ルター派からの返信が届いた。これに対し、イェレミアス2世は聖伝のみならず、聖神(聖霊)の発出(フィリオクェ問題)や自由意思に関する問題においても、ルター派と正教の間で一致点が見出せないと判断して論駁。これで、ルター派と正教会の間に行われたこの書簡のやり取りは終わった[9]

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(4.1.対抗改革(対抗宗教改革)運動)
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(5.2.両教会のやり取りに対するカトリック教会の対応)
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出典:Wikipedia
2019/05/20 10:30
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