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市川春代
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1.来歴・人物
1.2.歌手デビューしたトーキー・スター
そのころサイレントからパート・トーキー、トーキーの時代に入り、B級作品で主演をした。1934年(昭和9年)2月26日東宝が新しい専属契約スターに市川の名を連ねたが、当時の同撮影所総務の永田雅一の説得で、市川は同撮影所に留まった[2]
同年10月、渡辺邦男監督の『花嫁日記』に主演し、その主題歌『あなたのあたし』で歌手としてレコードデビューした。同作を最後に日活を退社した[2]。同年の暮れから翌1935年春にかけて、新興キネマに移籍しており、12月に公開された村山実監督、小島政二郎原作の2作、『花咲く樹 前篇なみ子の巻』、『花咲く樹 後篇エマ子の巻』で雑誌記者七條なみ子を演じてスターとなる[1]
1935年(昭和10年)8月、日本クリスタルの第7回新譜として発売された『乙女日記』と『夕月みれば』のカップリング、同社の邦楽の最後の新譜となった『青空』と『ベテイ・ブープ』のカップリングの2枚のSP盤を吹き込んだ。同年のマルベル堂のブロマイド売上ランキングでは、7位にランクインした(1位入江たか子、2位田中絹代)。同年、松竹から独立した重宗務監督による「東京発声映画製作所」の設立に参加、トーキー映画に出演した。1937年(昭和12年)に同社で製作した豊田四郎監督、石坂洋次郎原作の『若い人』の初映画化では江波恵子を演じて評判となった。同社では逢初夢子と市川が2大スターであった。同年12月12日、24歳で、録音エンジニアの加々良謙一と結婚した[2]
1938年(昭和13年)3月2日には古巣の日活京都撮影所にもどり、時代劇に出演する。後年、1980年代になって再評価されたマキノ雅弘(当時正博)監督、片岡千恵蔵主演、ディック・ミネ客演の華やかな時代劇ミュージカル『鴛鴦歌合戦』(1939年)に出演、26歳の可憐な娘姿が引退後の現在も知られるところとなる。なお、同作の撮影直前、同年11月7日に長女を出産している[2]
1942年(昭和17年)の戦時統合による日活の製作部門の大映への統合に際しても「大映京都撮影所」となった同撮影所に残り、千恵蔵主演の「宮本武蔵」シリーズ、稲垣浩監督の『宮本武蔵 一乗寺決闘』(1942年)、伊藤大輔監督の『二刀流開眼』(1943年)および『決闘般若坂』(同)などに出演した。1942年11月6日に長男を出産した[2]
[4]前ページ
(1.1.子役からスターへ)
[6]次ページ
(1.3.脇役として)

1. 『映画花形写真名鑑』(『講談倶楽部』誌、1936年新年号付録)の「市川春代」の項の記述を参照。1520.jpgでその抜粋が読める。
2. 『日本映画俳優全集・女優編』(キネマ旬報社、1980年)の「龍田静枝」の項(p.79-82)を参照。同項執筆は盛内政志

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出典:Wikipedia
2018/05/03 13:01
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