山内一豊
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2.生涯
2.3.土佐一国の領主として
慶長6年(1601年)、掛川から土佐に移封となり、浦戸城に入城する。大幅な加増があり、余所から入部してきた大名は、ただでさえ人手も足りなくなるので地元の元家臣を大量に雇用するのが常であったが、一領具足を中心とした旧長宗我部氏の家臣団は新領主に反発し、土佐国内で多くの紛争(旧主長宗我部盛親の復帰を求めるなど)を起こした。これに対して一豊は、新規召し抱えの家臣は上方で募るなど、重要なポストを主に外来の家臣で固めたが、有益な長宗我部旧臣は懐柔して登用した[10]。当時はまだ土佐領内に不満分子が完全に排除されていなかった為、高知城の築城の際などには一豊と同装束六人衆[11]影武者として共に現地を視察した[12]と言う。
高知平野内の大高坂山に統治の中心拠点として高知城を築城[13]し、城下町の整備を行った。領民に対して食中毒を気遣い、刺身で食べることを禁じたという話が伝わる。それに対し、領民が鰹の表面のみをあぶり、刺身ではないと言い繕って食すようになった。これが鰹のタタキの起源だとされている。
慶長8年(1603年)、豊臣姓を下賜されて[14]、従四位下土佐守に叙任された。
慶長10年(1605年)、高知城にて病死した。享年60。法名は大通院殿心峯宗伝大居士。墓所は高知県高知市天神町の日輪山真如寺の山内家墓所。京都市右京区花園妙心寺町の正法山妙心寺大通院[15]
現在、高知城には(右上の写真にある)一豊が騎馬姿でを持った姿の銅像が建てられている。
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(2.2.豊臣家の小大名として)
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(3.逸話)

10. 例、本山氏・谷氏・吉田氏・武市氏・宮地氏・森氏など。
11. 野中玄蕃・市川大炊・柏原長宅(半右衛門)・乾宣光(七郎左衛門)・乾和三(猪助)
12. 影武者の存在などは機密事項であったため通常記録には残らないが、一豊の場合には明記されている稀有な事例である。
13. 築城奉行は、関ヶ原の戦いの後に浪人となった百々綱家を7,000石で招聘して任じ、慶長8年(1603年)に完成した。
14. 村川浩平「羽柴氏下賜と豊臣姓下賜」1996年。
15. 遺骨があるのは日輪山真如寺の墓所、妙心寺大通院には位牌のみ。

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出典:Wikipedia
2017/04/13 21:00
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