山口組
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1.来歴
1.2.三代目:急成長
1942年における山口登の死後、しばらくは跡目が決することなく組長不在の状態にあったものの、1946年に田岡一雄を首領に据えた三代目体制が発足[11]。この田岡率いる三代目体制下にあって、昭和30年代〔1955〜1964〕から昭和40年代〔1965〜1974〕にかけて日本全国各地へ進出、対立抗争を繰り返しながら急速に勢力を拡大していった[12]

田岡襲名時の山口組の総勢はわずか33人に過ぎないものであった。それが1965年までに、傘下424団体、総勢9450名を数える巨大組織に発展。その間に当事者となった対立抗争は日本の各地を舞台としたもので、「小松島抗争」、「明友会抗争」、「鳥取抗争」、「博多事件」、「広島代理戦争」、「松山抗争」などが主要なそれであった。[11]

警察当局によるいわゆる「第一次頂上作戦」のさなかで直系組長らの脱退と直系組織の解散が相次ぐに至り、一時期弱体化するも、勢力の回復を経て、田岡の死去の前年にあたる1980年までに、2府33県に559団体、1万1800人余の総勢を擁する組織に成長。そうした三代目体制期を築いた田岡は山口組の中興の祖として記憶されるに至った。[11]

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出典:Wikipedia
2019/12/07 15:01
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