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三船敏郎
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5.世界のミフネ
1951年に『羅生門』がヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞し、クロサワとともにミフネの名も世界に知れ渡った。世界中のトップスターたちから「最も尊敬する俳優」と慕われ、共演を熱望された[24]
1961年に初の海外作品『価値ある男』(メキシコ映画)ではメキシコ人役で主演。その後の海外の名優との競演は、以下の作品などが挙げられる。

1967年『グラン・プリ』 - Grand Prixジョン・フランケンハイマー監督)イヴ・モンタンジェームズ・ガーナー
1968年『太平洋の地獄』(ジョン・ブアマン監督)リー・マーヴィン
1971年 フランス映画『レッド・サン』 - Red Sunテレンス・ヤング監督)アラン・ドロンチャールズ・ブロンソン
1976年『ミッドウェイ』 - Midwayジャック・スマイト監督)チャールトン・ヘストンヘンリー・フォンダロバート・ミッチャムグレン・フォード
1976年『太陽にかける橋 ペーパータイガー』- Paper Tiger デビッド・ニーブンハーディ・クリューガー
1979年『大統領の堕ちた日ジェフ・ブリッジスアンソニー・パーキンスエリザベス・テイラージョン・ヒューストンジョー・スピネルブラッド・デクスター
1979年『1941』 - 1941スティーヴン・スピルバーグ監督)ジョン・ベルーシダン・エイクロイドクリストファー・リー
1980年『将軍 SHOGUNリチャード・チェンバレン
1980年『インチョン!』(テレンス・ヤング監督)ローレンス・オリヴィエジャクリーン・ビセット
1980年『最後のサムライ ザ・チャレンジ』(ジョン・フランケンハイマー監督)スコット・グレン
1981年『武士道ブレードリチャード・ブーン
1991年『兜 KABUTO』(ゴードン・ヘスラー監督)ショー・コスギ
1994年『シャドウ・オブ・ウルフドナルド・サザーランドルー・ダイヤモンド・フィリップス
1995年『ピクチャーブライド』(カヨ・マタノ・ハッタ監督)
また、世界三大映画祭でも三船は評価された。三船が主演または準主演を務めた、映画の三大映画祭での受賞歴・コンペティション部門出品(最高賞ノミネート)歴は、以下の通り。

1951年『羅生門』 (黒澤明監督)ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞
1952年『西鶴一代女』(溝口健二監督)ヴェネツィア国際映画祭国際賞受賞
1954年『七人の侍』(黒澤明監督)ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞受賞
1955年『生きものの記録』(黒澤明監督)カンヌ国際映画祭コンペティション(パルム・ドールノミネート)
1957年『蜘蛛巣城』(黒澤明監督)ヴェネツィア国際映画祭コンペティション(金獅子賞ノミネート)
1958年『隠し砦の三悪人』(黒澤明監督)ベルリン国際映画祭監督賞受賞・国際批評家連盟賞受賞
1958年『無法松の一生』(稲垣浩監督)ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞
1960年『悪い奴ほどよく眠る』(黒澤明監督)ベルリン国際映画祭コンペティション(金熊賞ノミネート)
1961年『用心棒』(黒澤明監督)ヴェネツィア国際映画祭主演男優賞受賞
1963年『天国と地獄』(黒澤明監督)ヴェネツィア国際映画祭コンペティション(金獅子賞ノミネート)
1965年『赤ひげ』(黒澤明監督)ヴェネツィア国際映画祭主演男優賞受賞・サン・ジョルジオ賞受賞・イタリア産業賞受賞・国際カトリック事務局賞受賞
1989年『千利休・本覚坊遺文』(熊井啓監督)ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞受賞
1994年『ピクチャーブライド』(カヨ・マタノ・ハッタ監督)カンヌ国際映画祭コンペティション(パルム・ドールノミネート)
ちなみに、三船が出演した映画の英国アカデミー賞、米国アカデミー賞受賞歴・ノミネート歴は、以下の通りである。

1951年『羅生門』(黒澤明監督)米国アカデミー賞名誉賞(外国語映画賞)受賞・美術賞ノミネート
1954年『七人の侍』(黒澤明監督)英国アカデミー賞主演男優賞ノミネート、米国アカデミー賞美術賞ノミネート・衣装デザイン賞ノミネート
1954年『宮本武蔵』(稲垣浩監督)米国アカデミー賞名誉賞(外国語映画賞)受賞
1961年『用心棒』(黒澤明監督)米国アカデミー賞作曲賞ノミネート・衣装デザイン賞ノミネート
1961年『価値ある男』(イスマエル・ロドリゲス監督)米国アカデミー賞外国語映画賞ノミネート
1967年『グラン・プリ』(ジョン・フランケンハイマー監督)米国アカデミー賞編集賞受賞・音響賞受賞・音響効果編集賞受賞
三船が出演したテレビドラマ『将軍 SHOGUN』は、エミー賞で作品賞受賞・タイトル賞受賞・衣装賞受賞受賞・主演男優賞ノミネートとなった。

三船敏郎が主演を演じた『用心棒』(1961年) は全世界で人気を博し、全世界の映画関係者の教科書的存在になった作品。この作品のコピー作品から、マカロニウェスタンという映画のジャンルが 生まれ、クリント・イーストウッドが一流スターの仲間入りを果し 欧州でサムライブームを引き起こした。
チェ・ゲバラは『用心棒』に感銘を受け、桑畑三十郎の恰好までするほどのファンであった[85]

マトリックス』『ボディガード』『スター・ウォーズ・シリーズ』を始め、影響を受けた作品は数知れず、ブルース・ウィリス主演で『ラストマン・スタンディング』という題名で完全リメイクまでされている。
アラン・ドロンは三船を『日本の兄』や『神のような存在』と形容するほど尊敬し、自らがプロデュースするブランドの香水「サムライ SAMOURAI」の香りのイメージを、「三船敏郎を基調とした日本のサムライ」とした。また、20世紀を代表する世界的な有名俳優であるマーロン・ブランドも飛行機に乗っていた際、三船が同乗している事を知るや自分から挨拶に行ったというエピソードがある。
1975年、『スター・ウォーズ』のオビ=ワン・ケノービ役のオファーを受けるもNETとの番組出演製作契約のため断る。しかし、内容自体には関心を示した。『ジョーズ』のヒットで監督としての名声を高めたスティーヴン・スピルバーグは、『1941』(1979年)の旧日本軍潜水艦艦長役のオファーを三船に出す。三船はこれを受けたが、作品の興行としては失敗に終わった。三船本人はスピルバーグ、ジョン・ベルーシジョン・ランディスジョン・ミリアスら「ミフネ・リスペクター」に囲まれ、気持ちよく仕事をした。その後、『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』(1983年)ではダース・ベイダーの素顔となるアナキン・スカイウォーカー役をオファーされるが、これは断っている。ルーカスはダースベイダーの素顔をメイクでできるだけ三船に似せるように指示したという。なお、『ベスト・キッド』(1984年)のミヤギ役も断っている(代わりに出演した日系人俳優パット・モリタアカデミー助演男優賞にノミネートされた)。
米国人に最も有名なのはテレビドラマ『将軍 SHOGUN』(1980)の将軍役で、ミフネ=サムライのイメージが固定した。1980年代のアメリカの人気テレビ『サタデー・ナイト・ライブ』ではジョン・ベルーシが『用心棒』の主役の物まねで人気を博した。ベルーシは『1941』で三船と共演しているが、直接の絡みは無い。
米国産コンピュータRPGの『ウィザードリィ』には、敵役サムライの首領的存在として「ミフネ」が登場してくる。また、『マトリックス・リローデッド』『マトリックス・レボリューションズ』には、「ミフネ船長」なる人物も登場し、アジア系ではないが容姿の良く似た俳優が起用されている。
マニラ映画祭では「最もセクシーな俳優」に選ばれた事もある。アメリカ雑誌『PLAYBOY』でも「世界で最もセクシーな男性10人」に選ばれたことがある。また、フランスの映画雑誌で「セクシーな俳優10人」にも選ばれた。
三船への海外からのオファーは、晩年においても1年で通常の段ボール箱が一杯になるほど依頼が殺到していた。三船の出演を決断させる要素は「日本人を茶化さない」、「三船プロの運営に支障をきたさない(『デルス・ウザーラ』や『スター・ウォーズ・シリーズ』など多くの出演辞退はこれに該当)」、「世界各国のオールスターが出演し、その日本代表として指名」、「俳優、三船敏郎単体より、三船プロとして仕事を受けられるか(『グラン・プリ』、『レッド・サン』、『ミッドウェイ』、『1941』などが該当)」、「制作サイドの誠意ある交渉(黒澤解任後の『トラ・トラ・トラ!』への出演依頼に対して、黒澤の再登板と日本サイドの制作を三船プロに一任することが受け入れられなかった等があり、それらの条件をクリアした相手に対しては「出演させていただきます」というような誠意をもって応えた。また、出演を辞退する際も丁重に対応した。ただし『デルス・ウザーラ』に関しては、本人が自費で海外に渡航し、スケジュールを調整していたと野上照代に話している(実際、1972年〜75年まで、海外の作品に出演していない)。三船本人は海外ロケは「出稼ぎ」と称し、億劫であるとして、三船プロとしても仕事を受けやすい国内ロケの作品(『将軍 SHOGUN』、『最後のサムライ ザ・チャレンジ』、『武士道ブレード』)に多く出演した。また、三船プロ発展のため、ハリウッド映画に拘らず、様々な国の映画に出演し、同行のスタッフを研修させていることも特筆に値する。
晩年は、『シャドウ・オブ・ウルフ』(1993年)のエスキモー族長役や、『ピクチャーブライド』(1994年)の日本人弁士役としても出演した。
『シャドウ・オブ・ウルフ』の出演オファーが来たドナルド・サザーランドは、三船の出演が決まっていると聞き、脚本を読まずに出演を決めたと語っている。
三船の海外映画出演のギャラに関しては、『グラン・プリ』に出演の話があったときに、東宝のロサンゼルス支局の渡辺毅が、『グラン・プリ』のプロデューサー、エドワードルイスと交渉したものが、それ以後もベースになったという。当時、東宝からの出演料は600万だったというが、これでは安いと判断した渡辺は、出演料は30万ドル(当時のレートで1億800万)であるとルイスにふっかけ、それを相手が承知したという[13]
また1999年には、ミフネの演じたサムライへのオマージュともいえるデンマーク映画ミフネ』が作られ、ベルリン映画祭銀熊賞を受賞した。この『ミフネ』という映画では“ミフネごっこ”というチャンバラ遊びが子供の間で行われていたことが描写されている。
米国のエンターテインメント雑誌「Entertainment Weekly」で行われたアクションスターたちに序列を付け、世界から25人を選抜しようという企画で尊敬すべきアクションスター25人に選ばれている[86][41]
三船が他界した翌年のアカデミー賞授賞式のメモリアル映像では、三船の映像が映し出された時、大きく拍手喝采が起こった[24]この映像集に登場したことは、三船がアカデミーの会員であったことを証明している。ある年のアカデミー賞授賞式のレッドカーペットでのセレブインタビューで「好きな日本の俳優は誰ですか?」と聞いたところ、ほとんどのセレブが「トシロー・ミフネ」の名をあげた。「他に誰がいるっていうの?」というセレブもいたという[24]
1983年シカゴで「三船敏郎フェスティバル」が開催され、翌年の1984年にはニューヨークでも開催された[15]
海外各地で開催される三船主演作特集上映その他の催しに努めて出席、国際親善に寄与すると共に、モントリオール世界映画祭の審査員、ロサンゼルス市名誉市民に選ばれ、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)から学位を贈られたほか、ロサンゼルス郊外ブエナパークのムービーランド・ミュージアムにろう人形が置かれている[87]
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出典:Wikipedia
2020/03/19 22:03
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