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首里城
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2.歴史
2.2.王家の居城として
尚巴志が三山を統一し琉球王朝を立てると、首里城を王家の居城として用いるようになった。同時に首里は首府として栄え、第二尚氏においても同様だった。史書に記録されている限りでも、首里城は数度にわたり焼失している。焼失の度に再建されてきたが、良材が不足しがちな沖縄では木材の調達が問題となり、薩摩藩からの木材提供で再建を行ったり、将来の木材需要を見越して本島北部での植林事業を行ったりしている。一度目の焼失は1453年(享徳2年)に第一尚氏尚金福王の死去後に発生した王位争い(志魯・布里の乱)であり、城内は完全に破壊された。一度目に再建された城の外観と構造については、『李朝実録』に記述がみられ[注釈 2]1456年2月の目撃記録として、首里城は、「外城」「中城」「内城」の三地区に分かれ、外城には倉庫や厩、中城には200余人の警備兵、内城には二層の屋根を持つ「閣」があり、内部は三階建てで、三階は宝物を保管し、中層には王が滞在する場所があり、侍女が100余人控え、一階は酒食が供される集会所となっていたと記述されている。二度目の焼失は1660年(万治3年)のことであり再建に11年の年月を要した。1709年(宝永6年)には三度目の火災が起き正殿・北殿・南殿などが焼失した。この時は財政が逼迫しており、1712年(正徳2年)に薩摩藩から2万本近い原木を提供されている。現代の首里城の建築は、三度目の火災の後再建された1715年(正徳5年)から1945年(昭和20年)までの姿を基にしている。なお、1712年(正徳2年)発行の「和漢三才図会」(寺島良安・編)には首里城が「琉球国」の項の挿絵(地図)のなかに描かれている[5]

歴代城主[編集]


第一尚氏)尚巴志 - 尚忠 - 尚志達 -<中略>- (第二尚氏尚円 - 尚宣威 - 尚真 -<中略>- 尚育 - 尚泰

周辺の支城[編集]


那覇港を拠点とする海外交易は、琉球王国の重要な経済的基盤であり、港の付近には次のような防備施設や交易品保管施設としてのグスクが設けられていた[6]

港口の防御砲台。那覇港口の北岸側に設けられており、岸との間に石造りアーチ橋が架けられていた。現在はアーチ橋の石組みの一部が残る。
屋良座森城(やらざもりぐすく)
港口の防御砲台。那覇港口の南岸側に設けられていた。米軍那覇軍港建設により破壊され、現存しない。
御物城(おものぐすく)
交易品の保管倉庫。那覇港の一番奥に設けられていた。現在は基礎の石垣のみ残る。那覇軍港の一部であり、付近は海上保安庁の巡視船の定係港である。
硫黄城(いおうぐすく)
輸出用の硫黄の集荷・保管倉庫。那覇港の一番奥に設けられていた。現存しない。
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出典:Wikipedia
2020/03/28 21:30
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