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斜里町
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5.行政
5.1.しれとこ100平方メートル運動
1977年(昭和52年)から日本国内初のナショナルトラスト運動「しれとこ100平方メートル運動」が始まった。これは、藤谷豊町長(当時)主導により乱開発の懸念があった開拓跡地の買い取りに必要な寄付を募った活動である。知床半島の開発は1914年(大正3年)の幌別・岩尾別地区の農業開拓に始まり[10]、1925年(大正14年)には一時ほとんどが撤退するも1938年(昭和13年)に再開、1949年(昭和24年)の国家プロジェクトもあって入地者が増加したが[10]、開墾を進めていく中で畑として使用できる面積が少ないことなどの地理的条件から開拓計画も見直しを迫られた。その後、知床の原生的な自然の価値が評価されるようになり、1964年(昭和39年)に「知床国立公園」指定となると、行政は手当や転職あっせんなどによって離農を勧め[10]、1973年(昭和48年)まで営農していた入植者を最後に開拓の歴史に幕を閉じた。一方で、北海道内外の不動産業者による土地買い取りの手が伸びており、国立公園内とはいえ保護規制が比較的緩い地域の土地開発が行われて自然が損なわれる可能性があったため、斜里町は農地所有者に対して土地を売るという方針転換をした[10]。また、土地を守り抜いた開拓離農者からは町議会に対して一括で土地を買い上げるよう嘆願。国や北海道による買い上げが不可能な状況などから、町の独自事業として開拓跡地の保全に努めることにした。藤谷町長はイギリスのナショナル・トラストによる活動に注目し、知床流のナショナル・トラストに向けた行動を始めた。

「しれとこ100平方メートル運動」は860ヘクタールを対象とし、1口8,000円で日本全国から寄付金を募って順次土地を買い占めていった[10]。1982年(昭和57年)には運動開始5周年を記念して、日本国内初となるナショナル・トラストを考えるシンポジウムが知床で開催。自治体がすすめるトラスト運動として国際的にも注目を集めた。1986年(昭和61年)には林野庁が「国有林大量伐採計画」を立ち上げると全国的な反対運動が起こり、伐採計画は中止となった[10]。1997年(平成9年)には募金目標をほぼ達成し、新たに原生林回復・生物復活を目標とする「100平方メートル運動の森・トラスト」運動を展開[10]。100年先を目指す長期全体目標、20年毎に定める中期目標、運動地内を5区画に区分して5年で一巡する5年回帰作業計画の3段階の計画に従って作業を進めている。なお、2010年(平成22年)11月9日の正式契約を以って最後に残っていた土地を取得が完了した[10]

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出典:Wikipedia
2019/05/19 00:30
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