現代の自由主義としてのリベラリズムに関する議論としては、

「自由」に対して普遍的な価値を認めるリベラリズムの普遍主義が、リベラリズムを否定する価値をも包摂しうる
アイザイア・バーリンなどの価値多元論との整合性をもたないという批判
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積極的自由に基づく自己決定の推奨が、
消極的自由を重視する古典的な自由主義の立場から見て、一種の
パターナリズムにあたり、ことに所得再配分のための私的所有権に対する規制を、かえって自己決定の余地を狭めるもので、政府の恣意的な干渉と捉える
ノージックらの
リバタリアニズムからの批判

人格の有する諸属性は本質的なものであって、ロールズの想定する偶有性は、無意味な仮想であり、リベラリズム的な個人主義が、家族や地域などとの紐帯を欠いた負担なき自我にすぎないというサンデルらの
共同体主義からの批判
がなされており、リベラリズムの側からのロールズによる反論もなされている。なお、リベラルという語が、本来的な中道左派思想としての社会自由主義(
Social liberalism)を超えた広がりを現在では有していることから、広く左翼的と観念された思想として批判を受けることもある。