広島市への原子爆弾投下
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1.原爆投下側の視点
1.4.テニアン島
8月4日B-29エノラ・ゲイ[7]は最後の原爆投下訓練を終了して、マリアナ諸島テニアン島北飛行場[8]に帰還した。翌8月5日21時20分、第509混成部隊の観測用B-29が広島上空を飛び、「翌日の広島の天候は良好」とテニアン島に報告した[9]

5日、第509混成群団司令部から作戦命令35号が発令された[7]

ブリーフィングでポール・ティベッツ陸軍大佐(機長・操縦士)がエノラ・ゲイ(名前の由来になったのはティベッツの母親の名前)の搭乗員に出撃命令を伝えた。

「今夜の我々の作戦は歴史的なものだ」。
8月6日0時37分、まず気象観測機のB-29が3機離陸した。ストレートフラッシュ号は広島へ、ジャビット3世号は小倉へ、フルハウス号は長崎である。0時51分には予備機のトップ・シークレット号が硫黄島へ向かった。

続いて1時27分、Mk-1核爆弾リトルボーイを搭載したエノラ・ゲイタキシングを開始し、1時45分にA滑走路の端から離陸した。

その離陸2分後の1時47分、原爆の威力の記録を行う科学観測機(グレート・アーティスト号)が、さらに2分後の1時49分には写真撮影機(#91 or ネセサリー・イーブル号)の各1機のB-29も飛び立った。すなわちこの日、6機のB-29が原爆投下作戦に参加し、内4機が広島上空へ向かっていたことになる。

テニアン島から広島市までは約7時間の飛行で到達できる。

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出典:Wikipedia
2018/07/14 13:00
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