広島市への原子爆弾投下
▼人気記事ランキング
7.その後の広島
7.2.戦後
9月8日 - アメリカによる原爆災害調査が開始された。活動は1947年発足の原爆傷害調査委員会(ABCC)の母体、また後の放射線影響研究所となる。
9月19日 - 朝日新聞派遣のカメラマン松本榮一が被害の様子を撮影する。
9月19日 - GHQ-SCAPよりプレスコード発令。原爆被害に関する報道は禁止される。
9月下旬 - 日本映画社により原爆被害の撮影が開始される。撮影は中途からアメリカ軍の管理下となる。映像は1946年昭和21年)4月に"The Effects of the Atomic Bomb on Hiroshima and Nagasaki"として完成後、フィルムをアメリカ軍に没収された[64]
9月17日 - 被爆で壊滅状態の広島を枕崎台風(昭和の三大台風の一つ)が襲った。広島県の死者・行方不明者合計は2,000名を超える大惨事となっている。
1946年1月 - 広島市復興局が開設。しかし資金難により復興進まず。
2月1日 - イギリス連邦占領軍(BCOF)が、広島を含めた中国四国地方の占領業務をアメリカ軍から引き継ぐ。
1948年10月 - 広島流川教会の牧師谷本清が渡米。15カ月間に渡り31州256都市で広島の惨状を訴える講演活動を行う。
1949年8月6日 - 広島平和記念都市建設法が制定。復興への前進となる。
9月 - 広島市中央公民館に原爆参考資料陳列室が設置され、原爆瓦などの展示が始められる。
1951年 - 広島原爆傷害者更生会結成。同年11月に100メートルの道路が平和大通りと名付けられる。この時点では単なる荒野状態だった。
9月8日 - 日本国との平和条約が締結される。
1952年4月28日 - 日本国との平和条約が発効され、米英を中心とした連合国による日本の占領任務は終了した。
8月6日 - これまで判明した57,902人分の原爆死没者名簿が初めて奉納される。
1954年 - 爆心地周辺が広島平和記念公園として整備。
1954年2月28日 - アメリカがビキニ環礁ナム島で水爆実験「キャッスルブラボー作戦」を行い、日本の漁船第五福竜丸等が被曝した。原水爆禁止運動が起こる。
1955年 - 平和記念資料館が開設。第1回原水爆禁止世界大会開催。原爆乙女らが最長1年半に渡り滞米、マウントサイナイ病院においてケロイドの治療を受ける。
1956年 - 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)結成。援護法要望運動の開始。
1957年 - 原爆被爆者の医療等に関する法律(原爆医療法)が制定されたが、極めて限定的な内容。
1958年4月 - 広島復興大博覧会が開催される。
1958年5月5日 - 原爆症で死亡した佐々木禎子をモデルにした原爆の子の像が平和記念公園内に完成。
1960年、原爆医療法の改正。
1963年東京地方裁判所が「原爆投下は当時の国際法に違反する」旨の判決。
1968年、原爆被爆者に対する特別措置に関する法律(被爆者特別措置法)が制定。
1975年10月31日 - 昭和天皇が記者会見で「この、原子爆弾が、投下されたことに対しては、遺憾には思ってますが、こういう、戦争中であることですから、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと、わたくしは思ってます」と述べた[65]
1985年8月 - 中国共産党代表が広島平和記念公園で花輪を贈呈、人民日報が原爆投下を「米帝の暴行」として批判した。
1992年9月 - 広島市議会原爆ドーム世界遺産リスト登録を求める意見書が採択。
1993年 - 原爆ドームの世界遺産化をすすめる会が発足。全国で165万人の署名を集め、国会請願を行う。
1994年 - 被爆者念願の被爆者援護法が戦後50年でようやく制定。
1995年6月 - 原爆ドームが文化財保護法の国の史跡に指定される。
1996年12月 - 原爆ドームが負の遺産としてユネスコ世界遺産に登録。
1999年 - 爆心地に近い袋町小学校の校舎の建て替え工事に当たる壁の検査をしていた時、壁が剥がれ落ち、そこに文字が発見された。それは被爆後、この校舎は鉄筋で立てられていたため校舎は焼け残り、被爆して怪我をした人の救援所になっており、そこにこの学校の教師児童の安否を調べるために壁にチョークで伝言を書いたものだったと調査で分かった[66]
2002年 - 被爆者を追悼する国立広島原爆死没者追悼平和祈念館が開館。
2007年11月1日 - エノラ・ゲイの機長だったポール・ティベッツが死去。
2010年8月6日 - 平和祈念式典に初めてアメリカ公式代表(ジョン・ルース駐日大使)が参列(献花なし)。大使館を通じて「未来のため、核兵器廃絶に向けて努力する」旨のコメントが出された。
2013年8月6日 - 広島市長(広島市公式見解)は平和宣言において、初めて核兵器を「絶対悪」と断じた。また併せて核の平和利用における事故と原爆被害との「混同」を否定、国民の暮らしと安全を最優先にした責任ある国のエネルギー政策を早期に構築し、実行することを求めた。
2014年7月28日 - 原爆投下時のエノラ・ゲイの乗組員で最後の生き残りであった航空士のセオドア・ヴァン・カークが死去した。
2016年4月10日 - G7広島外相会合において、ジョン・ケリー国務長官がアメリカの現役閣僚として初の訪問となった。
2016年5月27日 - 原爆を投下した唯一の核兵器使用国の国家元首として、バラク・オバマ大統領が広島を訪問し献花。現職のアメリカ大統領が被爆地へ訪れることは初の出来事である。また、安倍晋三首相と共同平和宣言を行った。
[4]前ページ
(7.1.終戦まで)
[6]次ページ
(8.広島原爆をテーマとした作品)
~目次に戻る
出典:Wikipedia
2018/07/14 13:00
ソ人気記事ランキング
2018/07/23 更新
 1位7月22日
 2位梶居勝志
 3位第2世代移動通信システム
 4位麻原彰晃
 5位7月23日
▲上に戻る
[9]Wikipediaトップ
[0]gooトップ
免責事項
(C)NTT Resonant