広島市への原子爆弾投下
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7.その後の広島
7.1.終戦まで
8月10日 - 大阪から来たカメラマン宮武甫が被爆の惨状を撮影する。
8月14日 - 御前会議においてポツダム宣言受諾が決定され、日本政府はスイス政府を仲介して連合国に受諾を伝える。
8月15日 - 終戦の詔勅(玉音放送)。国民への終戦の告知。放送の中で原爆について取り上げ、非人道的行為として非難している[63]
8月24日 - 仲みどり死去。医学上認定された史上初の原爆症患者。
8月27日 - 日系人ジャーナリストのレスリー・ナカシマが8月22日来広、8月27日付UP通信東京発として世界で初めて被爆の惨状を外電報道(ウィルフレッド・バーチェットもあわせて参照)。
8月28日 - アメリカ軍やイギリス軍を中心とする連合国軍の上陸開始。
8月28日 - 終戦とGHQ-SCAP支配により全軍武装解除、将兵の復員が開始された。広島の被爆者救護を担ってきた暁部隊も解体し、救護活動は自治体に移管された。しかし戦時災害保護法(1942年制定)の規定により救護期限は2カ月と定められていたため、10月上旬に救護所は閉鎖されてしまう。
9月2日 - 各国政府代表が日本の降伏文書に調印。第二次世界大戦が終了(対日戦勝記念日)。
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出典:Wikipedia
2018/07/14 13:00
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