広島市への原子爆弾投下
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2.原爆被爆側の視点
2.2.8月6日の朝
8月6日は月曜。当時は週末の休みはなく、朝は8時が勤務開始であった。大半の労働者・徴用工・女子挺身隊、および勤労動員された中学上級生(1万数千人)たちは、三菱重工東洋工業を始めとする数十の軍需工場での作業となった。
また建物疎開には、中学下級生(数千人)および一般市民の勤労奉仕隊(母親たち)や病気などの理由により徴兵されなかった男子らが参加した。動員は市内の他、近隣の農村からも行われた。建物疎開とは、空襲による類焼を食い止めるために建物の間引きを行う作業である。建物の破壊は軍が行い、瓦礫の処理を奉仕隊が行った。当然、青空の下での作業である。彼らは原爆の熱線を直接、大量に浴びることになる(後述)。
尋常小学校の上級生児童は昭和20年4月に行われた集団疎開で市を離れていた者が多かったが、下級生児童は市内に留まっていた。児童は各地区の寺子屋学校での修学となっていた。就学以前の幼児は自宅に留まっていた。
8月3日、4日と雨が降ったが、5日以降は高気圧に覆われて天候は回復した。
8月5日は深夜に2回空襲警報が発令され、その度に市民は防空壕に避難したため、寝不足の市民も多かった。この日、市街中心部では米の配給が行われ、市民は久しぶりの米飯の食卓を囲んだ。
8月6日の朝の気温は26.7℃、湿度80%、気圧1,018hPaであった。北北東の風約1メートル/秒が吹き、雲量8 - 9であったが、薄雲であり視界は良好だった。7時9分の空襲警報で市民は一旦は防空壕に隠れたものの、7時31分には警報解除されたため、外へ出て一日の活動を開始していた。
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(2.1.広島市の略史と被爆直前の状況)
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(2.3.原爆投下直後)
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出典:Wikipedia
2017/08/07 19:01
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