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坂口安吾
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1.生涯
1.8.絶対の孤独と「ふるさと」
大晦日大井広介と浅草雷門で会い、意気投合し『現代文學』同人となる[注釈 7]。翌1941年(昭和16年)1月に大井宅で歴史書を耽読し、蒲田区安方町の家に戻る。8月に評論「文学のふるさと」を『現代文學』に発表。シャルル・ペロー版『赤ずきん』の残酷な〈救ひ〉のない結末を鑑み、〈生存それ自体が孕んでゐる絶対の孤独〉が〈文学のふるさと〉だと考察し、〈モラルがないといふこと自体がモラル〉というところから文学は出発するのではないかと論じられ[24]、自身の孤独な半生を思想として結晶させている[2]。8月、小田原から蒲田区安方町94に移り、再び母や兄たちと住むようになったが、小田原の借家は9月に暴風雨で流失する。歴史長編小説『島原の乱』(未完)を構想し、10月に『現代文學』に「島原の乱雑記」を発表、11月は「ラムネ氏のこと」を『都新聞』に発表する。

1942年(昭和17年)2月に母・アサが息を引き取る(73歳で没)。3月に評論「日本文化私観」を『現代文學』に発表。6月に「真珠」を『文藝』に発表。「真珠」は真珠湾攻撃特攻隊の勇士・九軍神を主題にした小説で、彼らの死を目前にしたゆえの透明な明るさと、安吾自身の飲んだくれの無頼の生活を対比させた作品である[1]。兄・献吉夫婦が新潟市二葉町1丁目に転居したため、『島原の乱』に執筆を兼ねて一夏を新潟で過ごす。11月に「青春論」を『文學界』に発表。独自の文学観や思想を確立してゆく。1943年(昭和18年)9月、最初の自伝小説「二十一」を『現代文學』に発表。10月に創作集『真珠』(「古都」「孤独閑談」など所収)を刊行したが、「孤独閑談」の一部の表現が時局に合わないとして再版を禁じられた。この頃、「猿飛佐助」の構想を立てるが中断する。12月に『日本文化私観』を文体社から刊行。戦時中は作品発表の場が大幅に減り、歴史書や『平家物語』を読み漁った。

1944年(昭和19年)1月に黒田官兵衛を主人公にした歴史小説「黒田如水」(『二流の人』の原型)を『現代文學』、2月に「鉄砲」を『文藝』に発表。徴兵逃れのために日本映画社嘱託となる。3月14日に矢田津世子が38歳で病死。安吾はしばらく打ちのめされた[2]1945年(昭和20年)4月に召集令状を受けるが、応召せず、6月に、記録映画『黄河』などの脚本を書いたが映画化はされなかった。2月26日に東京大空襲を受けたが、家は焼け残った。戦災に遭った親戚筋の大野璋五(裁判官)一家4人が坂口家と同居する。終戦後の9月に日本映画社を退社。世話になった友人の尾崎士郎戦争責任で追及されることを危惧して奔走する[2]。安吾は尾崎士郎の秘書という名目でGHQ戦犯事務所に同行して弁護をした[11]

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出典:Wikipedia
2020/02/12 10:30
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