国際連合
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7.国際連合改革
国連は、1945年の設立から半世紀を経過したころから、新たな時代状況に対応した国連組織の抜本的改革を求める動きが強まってきた。その中でも(1)安全保障理事会改革が最大の争点であり、そのほか(2)敵国条項の削除問題、(3)信託統治理事会の改編問題などがある[132]。さらに国連総会を含めた国家を単位としその利害に影響される現在の意思決定方法から脱却し、世界の市民、立法者の意思が直接反映される国際連合議会会議の創設が構想されている。これらの改革には国連憲章の改正が必要である。
安保理は、現在、常任理事国5か国、非常任理事国10か国(発足時は6か国、1965年に増加)の合計15か国から成り、常任理事国のみ拒否権を有する。しかし、国連加盟国数が設立時の51か国から190か国以上まで増大したこと、日本の国連分担率が常任理事国である英仏ロ中の4か国合計の分担率を上回るなど財政負担の偏りが生じていることから、安保理の拡大を求める声が高まった[133]。1995年、有識者から成る「グローバル・ガバナンス委員会」がダボス会議で国連改革の提言をまとめた報告書を発表した。そこでは、5か国(先進国から2か国、発展途上国から3か国)を拒否権なしの「常勤理事国」とし、非常任理事国を3か国程度増やし、合計23か国で安保理を構成するとの案が示された。
1997年3月、総会議長ラザリ・イスマイルは、同委員会案を下敷きにしながら、常任理事国を5か国(先進国2か国、途上国3か国)、非常任理事国4か国増やし、新規の常任理事国には拒否権を与えない、敵国条項は廃棄するといった内容の改革案を各国に提示した(ラザリ案)。その新規常任理事国は、先進国からは日本とドイツ、途上国からはインド、ブラジル及びアフリカの1国となることが暗黙の了解であった。
しかし、イタリアのフルチ国連大使が、ドイツの常任理事国入りを阻止するため、韓国、パキスタン、インドネシア、メキシコ、アルゼンチンなどを集めて「フルチ・コーヒークラブ」と呼ばれるグループを結成し、これに非同盟諸国も加えて、1997年12月ラザリ案を棚上げに持ち込んだ[134]。2000年9月のミレニアム宣言では、安保理改革実現のための努力の強化が記されるにとどまった[135]
その後、アナン事務総長が2003年9月に安保理改革の再開を提唱したことによりハイレベル委員会が設置された。同委員会が2004年12月に提出した報告書では、次の2案が提示された。
常任理事国を6か国、非常任理事国を3か国増員して安保理構成国を24か国とする案(モデルA)
任期4年で再選可能な準常任理事国を8議席新設し、非常任理事国を1か国増やす案(モデルB)
しかし、中国・韓国がモデルAに反対し、日本とアフリカ諸国との連携・調整も順調に進まなかった結果、2005年9月の総会では、安保理改革の具体案の決定は先送りされた[136]。敵国条項については、「国連憲章第53条、第77条および第107条における『敵国』への言及を削除することを決意する」との総会決議が採択された[137]。また、アナン事務総長は、そのほかに総会改革、人権委員会の人権理事会への格上げ、平和構築委員会 (PBC) の設置などの機構改革を提言していたが、そのうち人権委員会と平和構築委員会の設置が2005年の総会で決定された[138]
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(8.加盟国)

132. 中谷ほか (2006:68)。
133. 中谷ほか (2006:68)。
134. 吉田 (2003:84-86)。
135. 中谷ほか (2006:68)。
136. 明石 (2006:17-18)、中谷ほか (2006:68-69)、吉田 (2003:86-87)。
137. 北岡 (2007:61)。
138. 明石 (2006:18)、北岡 (2007:51-52)。

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出典:Wikipedia
2018/02/02 19:32
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