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国後島
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3.歴史
3.4.和人の本格的進出・島の領有
江戸時代には、1754年宝暦4年)松前藩によって家臣の知行地として開かれた国後場所に属する。当初、国後場所の領域には択捉島や得撫島も含まれていた。場所請負制も参照。商人飛騨屋に対して「場所」と呼ばれた交易・漁業拠点の運営を行わせていた。飛騨屋はアイヌ人を雇用して経営を行い、商取引や労働条件に不満を募らせたアイヌ人はついに、天明9年(1789年)5月、国後島泊の運上屋(藩の出先機関・交易拠点)を襲撃した。これは対岸の根室・標津方面にまで広がり、大規模な「寛政蝦夷の乱(いわゆるクナシリ・メナシの戦い)」に発展した。松前藩は、260名の鎮圧部隊を送り込み、首謀者のアイヌ人37名を全員処刑して、蜂起は鎮圧された。この結果、場所請負人の変更や、いくぶん商取引や漁場での労働条件の改善が見られた。安政元年(1855年)の日露和親条約で、国後島の日本領有は国際的に確認された。

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(3.3.オランダ人上陸)
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(3.5.ロシア人上陸)
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出典:Wikipedia
2020/01/18 04:01
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