経世済民
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2.語義の変遷
2.2.economyの訳語としての「経済」の定着
幕末期になり、新たに交流が始まったイギリスなどから古典派経済学の文献が輸入されるようになると、「経済」の語は新たに"economy"の訳語として用いられるようになるが、それにはいくつかの段階がある。まず、1862年(文久2年)に刊行された堀達之助らの『英和対訳袖珍辞書』では"economy"を「家事する、倹約する」とし、"political economy"(古典派経済学において「経済学」を意味する語)に「経済学」の訳語を与えている(西周によると後者は津田真道の執筆)。ついで日本における最初の西洋経済学入門書として知られる神田孝平訳の『経済小学』(1867年(慶応3年)刊)では「経済学」を「ポリチャーエコノミー」と読ませており、同年末に刊行された福沢諭吉の『西洋事情 外篇』巻の3でも同様の用法として「経済学」の語が見える(なお前年1866年(慶応2年)刊の『西洋事情 初篇』巻の1には「経済論」の語がある)[7]

しかし「経済(学)」がエコノミーもしくはポリティカル・エコノミーの訳語として定着するには若干の問題があり、例えば西周は『百学連環』(1870年(明治3年)刊)で、エコノミーとポリティカル・エコノミーの区別を重視して前者に「家政」、後者については国家の「活計」を意味するものであり、津田の訳語「経済学」では活計の意味を尽くしていないとして「制産学」の訳語を与えている。このように個人(もしくは企業)の家計・会計と国家規模の経済運営を分けて考える立場はしばらく影響力を持ち、後者については「理財」の訳語が用いられることもあり(1881年刊『哲学字彙』では"economics"の訳語)明治初期の大学・専門学校の学科名としては「理財学」がしばしば用いられた。しかし国家レベルと個人・企業レベルのエコノミーを包括して「経済」とする用法が次第に普及することになり、現在に至っている[8]。また江戸時代以来の「貨殖興利」という用法も存続したため、本来の「経済」の語に含まれていた「民を済ふ」という規範的な意味は稀薄となった。

また、この新しい用法は本来の意味の「經濟」という語を生み出した中国()にも翻訳を通じて逆輸出され、以後東アジア文化圏全域で定着した。

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(2.1.古典的用法としての「経世済民」「経済」)
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(3.脚注)
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出典:Wikipedia
2019/06/08 20:30
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