経世済民
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2.語義の変遷
2.1.古典的用法としての「経世済民」「経済」
近世以前の日本では、「経世済民」(あるいは経国済民)が一つの言葉として用いられることはあまりなく、「経国」「済民」などがそれぞれ別個に用いられることが多かったが、近世(江戸時代)になるとこれらを一つにまとめた「経世済民」(あるいは経済)が盛んに用いられるようになった。その背景には、初の中国で発展した考証学者による「経世致用の学」の影響を受け、日本でも儒学者蘭学者などによる同種の「経世論」(経世済民論)が流行したことが関わっている。この「経世論」の代表的著作の一つで日本で初めて「經濟」の語を書名とした太宰春台『経済録』(18世紀前半)は、「(およそ)天下國家を治むるを經濟と云、世を經め民を濟ふ義なり」としており[3]、この頃の「經世濟民(經濟)の學」は今日でいう経済学のみならず政治学政策学社会学などきわめて広範な領域をカバーするものであった。

しかし江戸後期に入って次第に貨幣経済が浸透すると「經濟」のなかでも「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの活動」という側面が強調されるようになっていった。海保青陵は、自著で専ら現在と同じ意味で用いており、これは「経済」という語の早い例である。ただ青陵によると、当時の大坂で「経済家」といえば、治政一般ではなく「金銀の事」に詳しい者を指したと言い、大坂商人の間では現代的な用法は既に常識的だったようだ[4]19世紀前半の正司考祺『経済問答秘録』に「今世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは謬なり」とあるように、(考祺は批判的に指摘しているものの)今日の用法に近い「經濟」が普及していた[5]。以上のような用法の変化は、代の中国の俗語において、金銭・財務に関連する(古典的用法と異なる)用法が広まったことの影響とする杉本つとむの見解[6]もある。

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(1.典拠)
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(2.2.economyの訳語としての「経済」の定着)
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出典:Wikipedia
2019/06/08 20:30
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