慶應義塾大学
▼人気記事ランキング
2.大学の特徴
2.2.教育および研究
「義塾」の「義」は社会公共のため協力して事を行うという意味があり、これを念頭に置いている[15]。大きな柱は「医療」と「研究」である。蘭学から適塾(後の大阪大学)、慶應義塾医学所北里柴三郎による伝染病研究所北里研究所、満鉄衛生研究所までの歴史を汲む慶應義塾伝統の学問に立脚する医学は今日、ハーバード大学医学大学院と1890年(明治23年)以来の長年の研究リンクを持ち[16]、伝染病研究所を母体とする歴史を持つ理化学研究所と連携、協力を行っている[17]。終戦後は旧中島飛行機株式会社青年学校へ基礎学科の研究室を約十年間移し、研究活動を行っていた(のちの武蔵野分校)。グローバルCOEプログラム取得や慶應医学賞設立も行っている。大学部時代の各学科の特徴としては、『四書五経』などの研鑽を積んだのち[18]数学を基礎学とした有形学から入って、無形の学へ進む編成が成されており、この伝統は当世の各学問分野においても根付いている。実学の精神である、「実証に基づく理論的、合理的な科学(サイエンス)」(窮理図解)や「自我作古」の精神等[19]から伝統的な学術研究に加え、医療、産官学連携や知財活動などを通した研究を行っており、科学研究費補助金は全体の10%に過ぎない。戦前には枢密顧問官へ定期的に器量人を輩出、昨今は日本人宇宙飛行士を2名輩出している。文系では、その他官公私立大などが行うマスプロ教育を忌避しており、ゼミナールを中心とした少人数教育を一貫して追求している[20]

かつては全学部学科において水泳が必修科目であり、「塾生皆泳」なるスローガンの下、水泳で50メートル泳法ができないと単位を取得できず、シーズンスポーツで水泳を選択することが義務付けられていた。複数の卒業生が、自著や対談の中で単位を取るのに水泳の特訓をしたと回想している。海軍軍人の長男(小泉信吉)を戦争で失った経験から小泉信三がこのような制度を作ったとされている。また、かつては体育実技において複数の競技が必修となっており、男子学生の場合、武道、球技、水泳(上記)、陸上競技を半期の内に大学の定めたローテーションに従って受講する必要があった。このような高校式の体育の授業を行っていた総合大学はきわめて珍しい。
[4]前ページ
(2.1.塾訓、目的)
[6]次ページ
(2.3.学風および特色)
~目次に戻る
出典:Wikipedia
2019/12/04 22:32
ソ人気記事ランキング
2019/12/07 更新
 1位日本
 2位HR 8799 c
 3位HR 8799 b
 4位HR 8799 d
 5位ガイナックス
▲上に戻る
[9]Wikipediaトップ
[0]gooトップ
免責事項
(C)NTT Resonant