君が代
▼人気記事ランキング
2.礼式曲「君が代」制定までの歴史
2.1.和歌としての君が代

テキスト[編集]


歌詞の出典は『古今和歌集』(古今和歌集巻七賀歌巻頭歌、題知らず、読人知らず、国歌大観番号343番)である。ただし、古今集のテキストにおいては初句を「我が君は」とし、現在の国歌の歌詞とは完全には一致していない[3][11]

我が君は 千代にやちよに さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

文献にみえる完全な一致は、朗詠のための秀句や和歌を集めた『和漢朗詠集』の鎌倉時代初期の一本に記すものが最古といわれる(巻下祝、国歌大観番号775番)[3][8][21][22]

『和漢朗詠集』においても古い写本は「我が君」となっているが、後世の版本は「君が代」が多い[8]。この「我が君」から「君が代」への変遷については初句「我が君」の和歌が『古今和歌集』と『古今和歌六帖』以外にはほとんどみられず、以降の歌集においては初句「君が代」が圧倒的に多いことから時代の潮流で「我が君」という直接的な表現が「君が代」という間接的な表現に置き換わったのではないかという推測がある[23]。千葉優子は、「我が君」から「君が代」への転換は平安時代末期ころに進んだとしている[24]。朗詠は、西洋音楽やその影響を受けた現代日本音楽における、歌詞と旋律が密接に関ってできている詞歌一致体とは異なり、その歌唱から歌詞を聴きとることは至難である[25]

なお『古今和歌六帖』では上の句が「我が君は千代にましませ」となっており、『古今和歌集』も古い写本には「ましませ」となったものもある。また写本によっては「ちよにや ちよに」と「や」でとぎれているものもあるため、「千代にや、千代に」と反復であるとする説も生まれた[23]

解釈[編集]


万葉集などでは「君が代」の言葉自体は「貴方(あるいは主君)の御寿命」から、長(いもの)にかかる言葉であり、転じて「わが君の御代」となる。『古今和歌集』収録の原歌では、上述したように「君」は「あなた」「主人」「君主」など広く用いる言葉であって天皇をさすとは限らない[11]。『古今和歌集』巻七の賀歌22首のうち18首は特定の個人、松田武夫によれば光孝天皇藤原基経醍醐天皇の3人にゆかりの人々にかかわる具体的な祝いの場面に際しての歌である[26]。その祝いの内容は、ほとんどが算賀であるが出生慶賀もある[26]。これに対し、最初の4首は読人知らずで作歌年代も古いとみられ、歌が作られた事情もわからない。そのうちの1首で、冒頭に置かれたものが「君が代」の原歌である。したがってこの「君」は特定の個人をさすものではなく治世の君(『古今和歌集』の時代においては帝)の長寿を祝し、その御世によせる賛歌として収録されたものと理解することが可能である[26]

後世の注釈書では、この歌の「君」が天子を指すと明示するものもある。それが、『続群書類従』第十六輯に収められた堯智の『古今和歌集陰名作者次第』である。同書第1巻の刊行は、万治元年(1658年)のことであり、堯智は初句を「君か代ともいうなり」とし、「我が大君の天の下知しめす」と解説しており、これによれば、17世紀半ばの江戸時代前期において「天皇の御世を長かれ」と祝賀する歌だとの解釈が存在していたこととなる[27][28]

『古今和歌集』に限らず、勅撰集に収められた賀歌についてみるならば「君」の意味するところは時代がくだるにつれ天皇である場合がほとんどとなってくる。勅撰集の賀歌の有り様が変化し、算賀をはじめ現実に即した言祝ぎの歌がしだいに姿を消し、題詠歌と大嘗祭和歌になっていくからである。こういった傾向は院政期に入って顕著になってくるもので王朝が摂関政治の否定、そして武家勢力との対決へと向かうなかで勅撰集において天皇の存在を大きく打ち出していく必要があったのではないかとされている[26]

[4]前ページ
(1.歌詞)
[6]次ページ
(2.2.諸文芸・諸芸能と「君が代」)
~目次に戻る
出典:Wikipedia
2019/09/16 02:30
ソ人気記事ランキング
2019/09/19 更新
 1位日本
 2位熊谷連続殺人事件
 3位渡る世間は鬼ばかりの登場人物
 4位9月18日
 5位凪沢怜奈
▲上に戻る
[9]Wikipediaトップ
[0]gooトップ
免責事項
(C)NTT Resonant