吾妻鏡
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10.歴史資料としての価値
最後に明治以降の研究者が、この『吾妻鏡』の歴史資料としてどのように評価してきたかをまとめておく。

星野恒が1889年の『史学雑誌』創刊号に載せた『吾妻鏡考』が近代史学における吾妻鏡研究の出発点となった。そこにおいて、星野は『平家物語』などの「物語」と異なり、「鎌倉幕府の日記」であって信用のおけること、そして幕府記録の嚆矢(こうし)であり、武家制度、法令、政治経済を理解する上で必須の史料と位置づけた。
原勝郎
それに対して原勝郎は「其記事の比較的正確にして且社會諸般の事項に亘り、豐富なる材料を供給すること多く他に類をみざるところなり」としながらも、すくなくとも前半は「日記」とは思えないこと、そしてそれを全面的に信用することに対しては疑問を投げかける。吾妻鏡の史料としての価値は「主として守護地頭其他の法制に關係ある事實」にあるとする。それらの多くは政所問注所に関係ある諸家の筆録、その他の記録であろうし、それらに政治的曲筆が入り込む可能性は少ないだろう、しかし北条氏を正当化する為の曲筆が多く、政治史の材料としては信憑すべき直接史料とはみなし難いとした。
和田英松
和田英松は前半どころかその全てが後の編纂物であって「日記」(リアルタイムな記録)ではないとする。しかしこれは鎌倉時代の中葉に、幕府が公私の日記文書によって編纂したものであって「史料としての価値は日記に劣ることあらざるべし」とする。またその編纂意図については「幕府の記録を統一して、先例調査の機関に備えんが為」であったのではないかとした。
八代国治
八代国治は『吾妻鏡の研究』において、和田と同様に全てが後の編纂物とし、更に「切り張りの誤」「生存者を死者となす」「死者を生存者となす」「偽文書の採録」など「記事の誤」を徹底的に指摘し、原と同じように政権闘争史に関する史料としては、一等史料として信用し難いとする。その一方で、幕府政所、問注所、及びこれに関係する者たちの日記、記録、文書、及び京都公家の日記などの資料によって編纂した部分が大部分を占め、その編纂も幼稚で余り「斧削」を加えていない、従って曲筆、偽文書、意図的な顕彰を注意深く取り除けば、鎌倉時代の根本資料として恐らくはこれに匹敵するものはあるまいとする。
佐藤進一
和田英松、八代国治の研究は大正初期のものだが、戦後1955年の佐藤進一・池内義資編の『中世法制史料集』の態度は「対応資料の見出せない場合には一切吾妻鏡を採録せず、後日の研究を俟つことにした」という非常に慎重なものであった。それは八代いうところの「上述の誤謬を糾し、粗漏を除き」という作業が如何に難しいかを物語っている。実際に『吾妻鏡』の記述を根拠とした「守護・地頭の成立1185年説」がひっくり返ったのは、先に紹介した通りこの『中世法制史料集』編纂より後に起こったものである。
益田宗
益田宗は、北条本は「いわゆる北条本」に過ぎないこと、現存する吾妻鏡の写本は寄せ集め本にすぎず、写本の本文系統論は成立しえないことなどを指摘した。また八代国治の編纂二段階説を否定して、その成立はほぼ14世紀初頭とし、当時に幕府の事務官僚に集められた様々な種類の原史料がベースとなっていると見るべきであること、同じ理由で京都や西国で起こったことなどは欠けていることが多いこと。そしてその編纂時期以前に既に北条得宗専制期であるため「北条氏をはばかる記述[57]」もあることに注意が必要であるが、しかしその曲筆は必ずしも編纂者の手によるという訳ではなく、編纂者自身がそう聞かされていた、集めた史料にはそう書かれていたと見る方が正しかろうとする。しかしそうした「本書の短所は、短所なりに価値をもつものであって、必ずしも本書の価値を低めるものでは」なく[58]、鎌倉幕府の研究、更には武家社会の解明には不可欠の文献であるとする。
五味文彦
近年『吾妻鏡』の研究で大きな仕事をしたのは五味文彦であるが、五味は『中世法制史料集』の態度を紹介しながら、それでも『吾妻鏡』は、実に豊かな法令を含んでいるという[59]。五味は、原史料の見通しをつけることができれば、編纂のあり方、誤謬のあり方も自然にわかってくるだろう、そうすれば八代がその著書の最後に述べたように、鎌倉時代の根本資料として有益な情報を抽出出来るはずだとする。
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(9.5.抄出・零本系)
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(11.注釈)
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出典:Wikipedia
2019/05/14 01:30
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