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戸村一作
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2.人物
2.1.家族・キリスト教との関わり・文化活動
戸村家は祖父の代から続くクリスチャンホームであり、自身も敬虔なクリスチャンであった。名前の一作は旧約聖書に登場するイサクに由来する。父が村議会議員選挙に立候補した際のトラブルから、戸村家は近所の中で孤立気味であった[2]

1891年に以来当地でキリスト教の布教活動を続けていた「三里塚伝道所」に自宅敷地を提供し、教会の信者らが普請のために募った寄付により、吉村順三設計による木造の教会堂1954年11月25日竣工した(翌月「三里塚教会」に改称)[22]

また、近所の子供を集めて日曜学校を開き、説教の他にも絵や歌を教えたり、近隣の学校から集めた作品や自身の作品を展示するなど、「三里塚教会」を拠点に文化活動をしていた[12]宮内庁下総御料牧場の絵を好んで描いていたという[2]

なお、成田空港問題を巡って戸村と教会の牧師は対立するようになり[注 7]、戸村が教会の幼稚園の前に「くうこうはんたいみんなでしよう」と書かれた立札を立てたり、バキュームカーの立ち入りを阻止して便所の汲み取りをできないようにするなどしたうえ、教会に対して土地代を値上げしてその支払いと退去を求めた。1968年に牧師と教会役員らは戸村らの除名を宣言して信者らと共に教会堂を引き払った。牧師らは新東京国際空港公団からの騒音対策事業費補助金(移転補償)を受け取り、新たに別の教会堂を建てることで布教活動を継続した。日本基督教団はこの教会を認めるスタンスを取っている[注 8][2][22]

一方、戸村らも別の牧師を招いて教会の活動を再開しており、「三里塚教会」の分裂状態は現在に至るまで継続している[22][25]

青年行動隊員らが日本幻野祭の開催を報告しに来たときは「若者はなぜ快楽主義に走るのか」と不満だった[3]

1978年に国際絵画展に参加するためにベイルートを訪問した[2]

戸村夫人は戸村について「明治の人なので、やさしい言葉をかけてくれたことはなかったけど、一度も私に手を上げたことはないし、温和な人だった」「闘争に勝ったらパリにのんびり絵を描きに行きたいって言っていましたよ。空港に反対する気持ちは私も強かったんだけど、もともと闘争的な性格ではないので、あの人は歯がゆく思っていたかもしれない」と語っている[注 9][4]

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(2.2.平和主義者からの転換)
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出典:Wikipedia
2020/02/13 21:34
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