古今亭志ん生 (5代目)
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3.人物
3.2.酒について
関東大震災発生時は、酒が地面にこぼれるといけないと思って真っ先に酒屋へ駆け込み、酒を買った。酒屋の主人はそれどころではないと勘定をとらず、その場でタダで1升5合ほども飲んで泥酔して帰宅した。夫人のりんは当時長女を妊娠中で、大地震の最中に家から飛び出して泥酔して帰宅した亭主にさすがにたまりかねて大変な剣幕で面罵した[48]
戦時中、漫談家の初代大辻司郎銀座数寄屋橋ニユートーキヨーでビールを飲み、「エビの絵が描いてある大きな土びん」にビールを詰めたものを土産にもらって都電で帰宅中、日本橋の付近に差し掛かったところで空襲が始まった。電車から降ろされたが逃げることをあきらめ、地下鉄入口に腰を下ろした。爆弾がおちて死にでもしたら、せっかくもらったビールがもったいない。飲んでしまわなければ死んでも死にきれないとすべて飲み干して、そのままその場で寝入ってしまった。翌朝、奇跡的に無傷のまま目覚めて帰宅。いつまでも帰宅しないのであるいは空襲で死亡したのでは、と家族は諦めていた[49]
満州で終戦を迎えたものの、混乱状態の満州から帰国する目処がつかず、1946年(昭和21年)頃の国内では「志ん生は満州で死んだらしい」と噂が流れていた[50]。実際、本人も今後を悲観して、支援者から「強い酒なので一気に飲んだら死んでしまう」と注意されたウォッカ一箱を飲み干し、数日間意識不明になったことがあったが、その後意識を回復した[51]。当時、圓生と二人で極貧生活をしていた時、苦労して手に入れて持ち帰った酒瓶を蹴躓いて落として割ってしまった。人生で情けなくて涙をこぼして泣いたのは後にも先にもこの時だけだと後に語っている。
酒に酔って高座に上がったことが何度かある。1958年(昭和33年)5月30日の「第13回東横落語会」では大幅に遅刻し、真っ赤な顔、怪しい呂律で高座を務めた。噺も支離滅裂だったが、その様子が笑いを誘い、当日一番客の拍手を浴びたのは5代目志ん生だった[52]人形町末廣大喜利でも居眠りしてしまい、トリの4代目(自称9代目)鈴々舎馬風がいくら起こしても起きなかった。新宿末廣亭でも一度居眠りしたことがある[53]
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(3.3.放送専属契約)

48. 古今亭志ん生 『びんぼう自慢』 109-111頁
49. 古今亭志ん生 『なめくじ艦隊』 127-129頁
50. 「ピンチよさようなら 師匠の大事と戦う 美濃部りん」『志ん生! 落語ワンダーランド』72頁、読売新聞 1962年(昭和37年)11月18日付
51. 古今亭志ん生 『びんぼう自慢』 240-242頁、274頁、268-271頁
52. 江國滋 『落語手帖』 135-137頁
53. 色川武大 『寄席放浪記』 56-57頁

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出典:Wikipedia
2017/12/05 08:00
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