原恵一
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1.経歴
1.3.クレヨンしんちゃん
1992年には『クレヨンしんちゃん』が開始。スタッフは『21エモン』までの人材がほぼスライドする形であったので、原もテレビ版・劇場版の両方で絵コンテや演出などを担当した。当初はシンエイ動画社内でも力を入れていた作品ではなく、上層部からも「26回持たせてくれ」という状態であったが、段々と視聴率が上がり、社会現象にまで至るブームとなる。原は「最初はやる気が起きなかったが、視聴率が上がるとこの仕事が面白くなって来た」と語っている。1996年10月、本郷みつるから監督をバトンタッチされ、劇場版も1997年の『暗黒タマタマ大追跡』から監督を務める。2001年の『嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』は各方面で話題となり、その知名度を高め、さらに、翌年2002年の『嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』では、またもや各方面で絶賛され、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門で大賞を受賞。テレビアニメの映画版としては史上初かつ2012年現在唯一の受賞であり、特に日本PTA全国協議会子供に見せたくない番組ランキング常連でもある『クレヨンしんちゃん』で、文化庁から評価を受けたことは話題となった。

2003年に劇場版の監督を水島努と交代してからは徐々に関わりを薄くし、2005年伝説を呼ぶブリブリ 3分ポッキリ大進撃』(ムトウユージ監督)では絵コンテに多少関わっている程度となった。降板の理由について「自分が劇場版に関わって10作目と区切りもいいし、ネタも何とか絞り出して出来たのが『オトナ帝国』と『戦国大合戦』の2作。これ以上続けても同じことの繰り返しにしかならない」と語っている。テレビアニメの方も2004年7月には完全に監督をムトウユージに引き継がせて降板。

2003年に映画監督の曽利文彦と知り合い、曽利のCGアニメ映画の脚本に抜擢され、実際に脚本も執筆したが、その企画は流れてしまった。

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出典:Wikipedia
2020/01/23 17:00
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