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血液型性格分類
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5.血液型性格分類が広まった経緯
5.1.西洋における類型学
西洋では歴史的に見て、性格を類型に分類し、それとは別の類型との関係を論じる説が提唱されてきた歴史がある(類型学[39]。例えば、医学の基礎を作ったヒポクラテスは「体内には血液、黄胆汁、黒胆汁、粘液という4種類の体液があり、これらのバランスが崩れると病気にかかる」と述べ、また「体液のバランスが性格にも関わる」と述べた(四体液説)。ヨーロッパでは中世まで、こうした説が信じられていた(現代の医学は、医聖ヒポクラテスに敬意を払ってはいても、これらの説に関してはナンセンス、と判断している)[39]

ABO式の血液型が発見されるのは1901年のドイツでのことである[38]。ドイツでは当時ハイデルベルク大学のガン研究所の教授だったE・フォン・デュンゲルン(Emil von Dungern)博士が、動物の血液型を調べたところ「チンパンジーは全て同一の血液型であることがわかり、他の動物はチンパンジーと異なる血液型であることが多い」ことを発見した[39]。ドイツに留学しデュンゲルン博士のもとで学んだ医師の原来復(はら・きまた)は[42]1916年に「血液ノ類属的構造ニツイテ」という論文を発表し、血液型と気質の関連を研究対象にしようとする試みについて語った[12]。しかし、原のこの論文では、まだ関係性を断定するような言い回しは使っていなかった[38]

この年代には白人A型人種優秀論として、実際とは異なるが白人にA型が多く東洋人にB型が多いと提唱されて人種差別につながっていた[38]。原は1916年の『医事新聞』で血液型で知的レベルを決定してしまうのは厳しすぎると、人種差別を批判した[38]。「○○人は血液型が...型だから優秀なのだ。○○人は血液型が...型だから劣るのだ」といったような説明(現在では間違いとされる病的科学)がまことしやかに学説として唱えられていた[43]

ナチス・ドイツも人種差別を正当化するために、血液型性格診断を利用していた[39]。血液型の遺伝の仕組みは当時から知られていたため、「血液型=性格」であれば性格は遺伝で決まることになり、「ゲルマン系ドイツ人の血統が優れている」としたい彼らにとって好都合だった[39]1932年にドイツで出版された『血液型便覧』には「ドイツ人に多い血液型」を優れた血液型とし、「高い知能」「勤勉」などと肯定的なことが書かれ、一方で「ユダヤ人やアジア人に多い血液型」を劣った血液型として、「暴力犯罪者」「精神薄弱」「感染に弱い」などと非常に否定的なことが書かれた[39]

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(4.3.性格の5因子モデルの研究)
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(5.2.古川竹二の『血液型と気質』)
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出典:Wikipedia
2019/10/27 17:01
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