金正男
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1.経歴
1.1.出生
1971年5月10日、北朝鮮の初代最高指導者・金日成の息子である金正日を父、映画女優の成尢ヤを母に平壌で生まれる[8]。しかし両者が付き合い始めた時、成尢ヤは既に結婚しており子供もいたため長年にわたり内縁関係にあったとされ、正日は父の日成に成尢ヤとその子のことが漏れないように努めていた[8]。当時、正日は継母の金聖愛と対立しており、この時に詳細が明るみに出れていれば正日は金日成の後継者としての地位を失っていたかもしれないといわれている[8]。そのため正男は平壌中心部の大邸宅に隔離されて育ち、母方の祖母と母方のおば(成恵琅)と共に暮らした[8]

一方、正日の妹の金敬姫は常に正男の味方であり続け、正男を自らの息子として育てようと試みたこともあった[8]。後に日成も娘の金敬姫・張成沢夫妻のとりなしを受けて初孫である正男の存在を認め、活動に専念する正日に代わって可愛がるようになったとされ[9]1994年に訪朝したジミー・カーターアメリカ合衆国大統領にも「自分が一番愛する孫」と紹介してる[10][9]。対照的に父・正日と後妻の高英姫の間に新たに生まれた孫の金正恩金正哲を祖父・日成は孫として認めなかったされ[10][11][12]、金敬姫・張成沢夫妻によって面会もできなかったとされる[13]。異母兄弟の金正恩らは平壌から離れた元山市で生活しており、誕生日を祖父・日成から直接祝福された金正男は謂わば「皇太子」の地位を確定したと当局からみなされていたとされる[14]。金正男の誕生日は豪勢に祝われ、毎年の誕生日プレゼントに100万米ドル(日本円で1億円相当)が費やされたとされる[15]

正男は1979年からの10年間、北朝鮮の外で生活していた[8]。12歳から14歳まではソビエト連邦の首都モスクワで生活していたという[16]1981年からスイスベルンにあるインターナショナルスクールに留学した後、1980年代後半にジュネーブ大学に入学したという[17]。この際にコンピュータに触れて関心を持ったとされる[18]1995年からは中華人民共和国の首都北京でも暮らし始め、上海の経済発展ぶりを見て北朝鮮の改革開放を志すようになる[19]

1980年代後半に帰国した頃にはフランス語英語を堪能に使えるようになっていた[8]。またロシア語中国語広東語)もある程度話せたようである。日本語については、日本人記者の「日本語は分かりますか?」という朝鮮語の質問に、日本語で「日本語ワカリマセン」と答えている[20]

1980年代後半に正男は帰国したが、1970年代後半から父の正日は高英姫と交際を始めており、高英姫は自らの子供たちを後継者にしようと画策していると使用人の間で噂されていたという[8]

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出典:Wikipedia
2019/10/14 17:31
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