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京都アニメーション放火殺人事件
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3.被害状況
3.1.従業員、役員など
京都府警察などによると、第1スタジオには従業員70人がいたが、そのうち69人が被害を受け、40代男性1人のみ無事だった[17][注 3]

事件当日に33人の死亡が現場で確認された。また、1階正面玄関から屋外に避難し、病院に搬送された30代男性社員1名が、事件翌日の7月19日夜に死亡した[19]。更に、1階で負傷して正面玄関付近の屋外で救助された20代男性社員1名が、7月27日17時53分に大阪府内の病院で死亡した[20][21]。その後、残りの負傷者は快方に向かっていると報道されたものの[22]、1階で負傷して正面玄関付近の屋外で救助され、火傷により集中治療室で治療中だった24歳女性が、併発した感染症に起因する敗血症性ショックにより10月4日20時20分に死亡した[23][24]

死者の発見場所や死因の内訳[25][23]、年齢層及び性別[17][26]は、右の表の通りである。中には「AKIRA」などで原画を務めた木上益治、「らき☆すた」などで監督を務めた武本康弘、「聲の形」などでキャラクターデザイン・総作画監督を手がけた西屋太志、「涼宮ハルヒの憂鬱」などでキャラクターデザイン・総作画監督を手がけた池田晶子らも含まれていた[27]

死者の内20人は、3階から屋上へ上る十数段の階段で折り重なるように倒れた状態で発見された[28]。屋上階段は煙がたまりやすく、目を開ける事すら困難だったと京都大学防災研究所准教授の西野智研は推測している[29]。20人の内、1人は3階と踊り場の間の階段で倒れ、踊り場から上の階段で14人が折り重なるように倒れており、5人は屋上扉の手前で発見された[30]。5人の内1人は倒れずに身を屈めた状態で発見されており、京都第二赤十字病院の救急科副部長は、心臓が停止する直前まで非常に激しい運動により消耗したためと想像している[29]

法医解剖医の西尾元は、多くの犠牲者の死因が焼死と診断されたのは、熱による作用が体の表面に大きく及んだ遺体が多かったためと推測している[31]。2階で発見された犠牲者2人の死亡推定時刻は、いずれも午前10時40分頃だった[32][33]。京都アニメーションは、犠牲者の葬儀には社員が2人1組で参列するよう手配し、中には5回参列した社員も複数いたが、それでも一部の葬儀には参列できなかった[34]

一方、現場から脱出した社員(後に死亡した者を除く)の事件発生時点での所在、及び脱出地点は以下の通りである[35][36][37]

3階
2階ベランダ - 5人
3階窓 - 1人
2階窓 - 1人
2階
2階ベランダ - 20人
1階
1階トイレ - 3人
正面玄関 - 2人(1人は無傷)[15]
2階窓 - 1人
1階窓 - 1人
ある若い女性社員は、被疑者の男に直接ガソリンをかけられて全身火傷を負ったものの、脱出して病院に搬送された(その後の容態は不明)[13]。ベランダから脱出した25人の内、2人は近隣住民が掛けた梯子を渡り、残りの23人は飛び降りた[39]。2階から生還した男性社員は、爆発音から30秒で伸ばした手が見えなくなるほど目の前は真っ暗になり、かすかに見える光に向かって走ってベランダにたどり着いたと証言している[43][44]。同じく2階から脱出した社員には、体表の火傷は軽いのに、気道熱傷を負った者もいた[29]

事件発生直後、負傷者は火傷の深さや面積及び骨折の重さより、重症10人、中等症6人、軽症20人と判定された(被疑者を除く)[15]。年齢は21歳から53歳まで、年齢層及び性別は右の表の通りである[45]。この内、19人は事件当日の夜に病院から帰宅、16人は入院した(後に3人が死亡)[46]10月18日の時点で女性4人が入院中、2人が自宅療養中である[47]

警察庁によれば「放火事件としては平成期以降最多の死者数」である[48][注 4]。また、『読売新聞』では更に時期の範囲を広げ、殺人事件として「戦後でも最も死者が多いとみられる」と報じている。なお、この事件による死者数は、戦前の昭和13年(1938年)に発生した津山事件の死者30人をも上回っている[50]

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(3.2.建物)
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出典:Wikipedia
2020/02/17 23:12
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