京義線・東海線鉄道および道路の連結事業
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3.工事の進行
2002年8月の第7回南北閣僚級会談の決定で、金剛山観光と離散家族の再開事業で利用が見込まれる東海線道路の臨時道路を先駆けて開通させることとなり、着工後、まず東海線臨時道路の開通を目指すことになった。当初は2002年11月ないし12月には利用開始の予定であったが、実際に東海線臨時道路の使用が開始されたのは2003年2月5日のことであった。工事は比較的順調に進んだが、軍事境界線の通過方法をめぐってなかなか意見がまとまらず開通が遅れてしまった。軍事境界線の通行方法をめぐっては韓国と北朝鮮ばかりではなく、国連軍として駐留しているアメリカ合衆国軍からもクレームが出されており、軍事境界線を越えて人の行き来がなされることは想定されていなかったことを考えると、ある程度の混乱はやむを得ないところであった。
しかしいったん開通したはずの東海線の臨時道路も、その後まもなく北朝鮮側が利用を中断させてしまい、本格的に利用されるようになったのは2003年9月になってからである。2 - 3か月で開通するはずであった道路も、終わってみれば1年かかってしまったことになる。
京義線の臨時道路についても東海線のすぐ後に完成し、その結果2003年6月には開城工業団地の着工式が行われ、その後、工業団地の工事や運営に利用されることになった。その後京義線と東海線ともに正式な舗装道路が完成しており、現在、開城工業団地や金剛山へ行く場合に利用されている。
鉄道工事であるが、もともと韓国側の工事は2000年以降順調に進んでいた。京義線に関していえば2001年9月には臨津江まで、そして2002年2月には都羅山まで開通していた。しかし北朝鮮側の工事は遅々として進まず、結局韓国は北朝鮮に対して資材や装備の提供を行い、更には駅舎の建設なども支援することとなって、鉄道連結に関して韓国側が投入した資金は日本円にして800億円あまりに膨れ上がった。
2003年6月14日には京義線と東海線同時に鉄道の連結式が行われ、2004年4月には「南北間の列車運行に関する基本合意書」も締結された。そして2004年10月と2005年10月の二度にわたって南北間で試運転の実施日程も組まれたが、最終的に北朝鮮軍部が開通を保障しなかったことで日程が流れてしまった。
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(2.構想の進展)
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(4.鉄道試運転の具体化と挫折)
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出典:Wikipedia
2018/06/23 00:31
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