京王相模原線
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3.歴史
3.5.橋本駅までの開業
橋本駅周辺の土地取得の問題は土地収用法の適用をもって解決し、1990年3月30日南大沢駅 - 橋本駅間が開業し、相模原線は全通した。1968年の工事着工から22年目のことだった。翌年には快速列車が橋本駅から都営新宿線本八幡駅までの直通運転を始め、神奈川県北部から千葉県を結ぶ東西の大動脈となった。これにより都心への玄関口となった橋本駅の乗降人員は、1990年から1997年にかけて2倍に増えた。[23]

橋本駅まで開通した翌年の1991年4月6日には、多摩境駅が開業した。多摩境駅の設置にあたっては、地元からの「請願駅」という扱いで京王の負担を極力抑えている[24]。多摩境駅の周辺は「多摩ニュータウン相原・小山土地区画整理事業」が施行されているが、京王と小田急は施行区域内を先行買収しており、多くの土地を所有していた[25]。この地域では開発より前から土地を売りたいとする地権者が多く、多摩ニュータウン側から土地を買うように要請を受けてのことだった[26]

なお、多摩境駅の開業が全線開業より後になったのは理由があった。ニュータウン新線において建設費などに補助金が出るのはニュータウンの範囲内だけでなく、ニュータウンの範囲外でもニュータウン居住者が利用する場合において、ニュータウンの範囲の次の駅までが補助金の対象になる取り決めになっている。多摩境駅は多摩ニュータウン区域内にあるものの、当初は事業認可未了となっている区域であったため、この取り決めにおけるニュータウンの範囲として扱うのは難しかった。つまり、そのまま橋本駅と多摩境駅を同時に建設すると、多摩境駅がニュータウンの範囲の次の駅として扱われてしまうことから、橋本駅までの補助金が出ないことになってしまうのである。そのため、ニュータウンの範囲の次の駅を終点の橋本駅にして、橋本駅までの建設に補助金を当てようとしたためであった(同じような事例が過去にも北大阪急行緑地公園駅にあった)。

橋本より先の橋本 - 相模中野間については、用地の取得が難しいことや用地費、工事費の高騰などにより、京王単独での建設が非常に困難であるとして、1988年3月に京王は免許を返上した[23]。したがって、津久井湖までの延伸はかなわず、相模原線は多摩ニュータウン住民や相模原市民の足として定着することになった。多摩境駅の開業をもって、若葉台駅から多摩境駅にかけての多摩ニュータウン内の全駅開業となり、1991年の多摩境駅開業時に15万人だった多摩ニュータウンの人口は、13年後の2004年に20万人を突破した[18]

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(3.4.多摩ニュータウン西部地区への延伸)
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(3.6.年表)
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出典:Wikipedia
2020/01/21 10:30
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