革命
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4.日本における革命
中国大陸は易姓革命も含めて多くの革命を経験しており、また朝鮮半島ベトナムでも易姓革命や近代以後の革命は起こっているが、それらに比して日本では、有史以来革命が起こったことがないとされている。政権の交代はしばしば発生したが、天照大神(神武天皇)以来の皇統を受け継ぐとされる天皇が最高の権威者であり続け、実質的な最高権力者でも天皇の臣下(大臣大連摂政関白太政大臣征夷大将軍内閣総理大臣など)という形式を崩さなかったからである。江戸時代山崎闇斎(『泰山集』)や水戸学藤田東湖(『弘道館記述義』)のように、日本は天照大神以来の万世一系の皇統を持つ唯一無二の国家であるとして、易姓革命を否定して国粋主義を高揚させる逆説的な論理で用いられることもあった。ただしクーデターや内戦の類とされるものは多数起きており、その中には他国の革命に相当するほどの劇的な政治体制の変化が起きたこともある(大化の改新承久の乱天下布武など)。

吉田松陰の思想を背景として起こった明治維新保守革命ともいわれ、あるいはまた西欧でいうクーデターとは異なる独自の意味として「維新」を考える学説もある(藤田省三松本健一ら)。またマルクス主義の立場からは、日本共産党などは明治維新を絶対主義の成立とするが、スターリン主義の影響を受けてない潮流はブルジョワ革命とすることが多く、日本資本主義論争などに繋がった。明治維新の英訳語は「Meiji Restoration」あるいは「Meiji Revolution」である[7]

北一輝らの民族主義ないし国家社会主義的革命理論では、天皇および国体を真正のものへと変革(革命)することが目指された。三島由紀夫陽明学の影響のもとに、保守革命を企画した。

1945年のポツダム宣言受諾により、日本は天皇の統治を定めた『大日本帝国憲法』を改正し、国民主権を策定することとなった。1946年に宮沢俊義はこの「憲法改正手続き」による主権の移動を、「八月革命」という言葉で形容した[8]。この宮沢の説は主権の移動をともなう日本国憲法の制定を合法的なものとして説明するものであり、1960年代には法学上の通説となった。高見勝利芦部信喜といった憲法学者は支持しているが、2000年代には批判的に見られている[9]。蓮沼啓介は国会の可決・天皇の裁可により日本国憲法の成立が確実となった1946年10月が「革命」となったとして、10月革命説を唱えている[10]

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出典:Wikipedia
2019/07/31 11:00
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