観光
▼人気記事ランキング
2.観光とツーリズム
2.1.日本における「観光」
日本でも古代から神社仏閣への参詣が行われていた。社会が安定した江戸時代中期以降、伊勢神宮などに参るついでに、名所巡りや飲食を楽しむ旅が庶民にも広がった。これらは「旅」「行旅」「遊山」などと呼ばれた。寺社や景勝地を紹介した各地の名所図会や、『東海道中膝栗毛』のような旅行文学も刊行された。

「観光」の語源は古代中国『易経』にある「観国之光,利用賓于王(国の光を観る、用て王に賓たるに利し)」との一節による。この句を略した「観光」の日本での早い時期の用例としては、幕末にオランダから江戸幕府に贈られた軍艦「観光丸」のほか、明治時代初めの米欧使節団を率いた岩倉具視が、報告書である『米欧回覧実記』冒頭に「観」「光」と揮毫[2]した。後者は「外国をよく観察して、日本に役立てる」という意味だったと思われるが、岩倉自身も東京奠都で衰退した京都経済を再生するため、外国人らによる京都観光を政府に献策している。

鉄道敷設など近代化に伴い日本人の国内旅行も更に盛んとなり、明治時代後半には遊覧旅行の意味で「観光」が使われるようになった[3]

大正時代以降、観光は「tourism」の訳語として定着したが、学者や論者によって定義が違うこともある。例えば、国土交通省『観光白書』では「宿泊旅行」を「観光」「兼観光」「家事、帰省」「業務」「その他」に分けている。この解釈によると家事、帰省、業務、その他を除いた旅行が「観光」である。

日本政府は昭和5年(1930年)、濱口内閣の時に鉄道省の外局として国際観光局を創設した[4]。岸衛(戦後に静岡県熱海市長を務め、『観光立国』を刊行)が進し、名称は江木翼鉄道大臣の意見によったと言われている。博識であった江木が『易経』を引用した[5]。この時期には、「大変珍しいもの」という程度で用いられていたといった見方もあるが、国際観光局に先立ち1912年にはジャパン・ツーリスト・ビューロー(後の日本交通公社)が設立されている。その出版物TOURIST(1918年3月号)では、アイヌ文化を詳しく伝えて、国の光=文化の概念の普及に努めている。

概括的に言えば、観光は明治時代からある単語ではあるが、きわめて限定的にしか用いられず、むしろ今日で言う外国人観光客誘致、インバウンド誘致といった意味合いが込められていく。ツーリズムの訳語として充てられたのも、そうした時代背景がある。

国内観光には「遊山」「遊覧」「漫遊」「行楽」などの用語が用いられ、今日の意味合いで、つまり、国内旅行の意味も含めていうところの「観光」が定着したのは1960年代以降とされる[6]

近年、再び國の光を観るという「易経」の解釈が引用されることが多くなってきた。原義を厳密に解釈すると、文字通り「見物」「物見」であろうが、「」という比喩的表現で対象が幅広く多様な解釈が可能な事も一因であろう。

庶民に観光と言うものが流行り出した当初は、観光に行くという事自体に価値があり、場所や何をするのかということは重点に置かれなかった。しかし、次第に観光に行くということ自体は当たり前となり、何処に行くのかということがステータスとなった。観光地を大きい見出しにしたパンフレット等が流行り出したのもこの時期のことである。しかし、その時代も長くは続かず、たいていの観光地には行ったことがある人が増え、何処に行ったということが自慢になる時代は終わりを告げた。

この頃から観光はステータスではなくなり、純粋な楽しみとしての観光が広まることになる。具体的には場所ではなく目的が観光を引っぱる時代となった。○○をしたいからそれができる場所を観光しようということである。体験型観光が流行り出したのもこの時期からである。現在はこの時代にあると言われるが、もう一歩進んだ次元にあるという考え方もある。それは目的だけでは客は来ない、具体的には楽しい気持ちになりたいとか、癒されたいとか、ゆったりした時間が過ごしたいとか、そういった感情が観光を引っぱる時代となったという考え方である。実際そういう言葉がパンフレット等に登場し始めていることも事実である。

なお、中国では「観光」という語は一般的ではなく、「旅游」「遊覧」が用いられる。中華人民共和国国家観光局の中国語表記は「中華人民共和国国家旅游局」[7]である。

[4]前ページ
(1.歴史)
[6]次ページ
(2.2.ツーリズム)
~目次に戻る
出典:Wikipedia
2019/08/11 15:00
ソ人気記事ランキング
2019/08/24 更新
 1位日本
 2位島田さくら
 3位名古屋小6受験殺人事件
 4位山本美香
 5位文京区幼女殺人事件
▲上に戻る
[9]Wikipediaトップ
[0]gooトップ
免責事項
(C)NTT Resonant