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隠れキリシタン
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3.かくれキリシタン
これまでの研究・調査によると、大正から昭和30年代の頃には約2万人〜3万人弱の「かくれキリシタン」の信徒がいたと推計されているが、近年、過疎や高齢化による後継者不足、生活様式の世俗化などによってその数は急激に減少している[9]。少数ながら、昭和以降にカトリックに復帰した集落があったり、結婚などを機に個人・家族単位でカトリックになった人もいるが、それよりも多くの人がキリシタンの信仰をやめて仏教や神道だけになっている。地域によっては、明治以降カトリックに復帰せず教会との接触を嫌ったことや近年の世俗化によってさらなる信仰の希薄化や変容が進んで元々のキリスト教から程遠いものになってしまった例もあり、集落の信仰伝承が途絶える原因の一つになっているとも考えられている。最近まで伝承が継続されている地域としては、長崎県の長崎市外海地区(旧西彼杵郡外海町)や五島列島、さらに平戸市平戸島生月島(旧北松浦郡生月町)などの地域が挙げられ、世界文化遺産長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産も、これらの地域に集中している[9]

長崎市外海地区、および隣接する旧三重村の樫山(現・長崎市樫山町)などは、江戸時代から多くの潜伏キリシタン組織が継承されてきた地域で、その後カトリックに復帰した者も多かったが、いまも旧外海町の黒崎出津にはかくれキリシタンの組織が残っている。このうち黒崎には、潜伏キリシタンおよびかくれキリシタンの神社「枯松神社」があり、「サン・ジワンさま[注 5]」を祀っている。黒崎の潜伏キリシタンは、明治になってカトリックに復帰した者、かくれキリシタンをかくまった天福寺(長崎市樫山町、仏教曹洞宗)の檀家に留まった者、かくれキリシタンとして先祖の信仰を維持した者とに分かれ、三者の間で互いにわだかまりが残っていた。1998年(平成10年)にこの地のカトリック黒崎教会に主任司祭として赴任した野下千年神父はこれを憂慮し、三者が心を寄せ合う場として枯松神社で共に集い、信仰を守り抜いた先祖を慰霊する祭を実施するよう呼びかけ、2000年に三者の協力による「枯松神社祭」が行われ、現在も毎年行われている[10][11]

五島列島奈留島五島市奈留町)の火葬場の裏には現在も聖母マリアの姿をしたがいくつも置かれている。五島列島ではかくれキリシタンの組織は大半が既に解散してしまい、信仰の道具の一部が福江島堂崎天主堂キリシタン資料館に収蔵されているが、いまも福江島や奈留島、および中通島(旧南松浦郡若松町)にわずかに組織が残っていて信仰が受け継がれている[12]

平戸島では、かくれキリシタンの集落単位の信仰組織はすべて解散・消滅してしまったが、地元の殉教者・殉教地はいまも大切に崇められていて、カトリック教会と合同で慰霊祭が継続して行われている地区もある。また、代々信仰の対象となってきた聖画・聖具などの一部が平戸市切支丹資料館に収蔵されているほか、いまも各家庭で聖画等を保管して個人的に信仰を受け継ぐ信者もいる[13]

そして生月島では、現在最も多くかくれキリシタンの組織が残っており、独自の信仰行事がいまも伝承されている[14]。平戸市生月町博物館「島の館」には、生月島のかくれキリシタンが信仰の対象としてきた「納戸神」の一部が展示されているほか、かくれキリシタンの人たちによるオラショがCDに収録されて出版もされている。

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出典:Wikipedia
2020/01/22 13:30
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