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花井卓蔵
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1.生涯
1.3.政治家として
弁護士業の傍ら、明治31年(1898年)から大正8年(1917年)まで衆議院総選挙に計7回当選し、後に衆議院副議長を務め、大正11年(1922年)6月6日からは貴族院議員に勅任され[2]、その弁論は「歴代政府の鬼門」として恐れられた。またこの間の明治35年(1902年)には河野広中中村弥六らとともに「何ぞ独り参政の権利を10円以上の納税者のみに制限するの理あらんや…」との理由を付したわが国はじめての普通選挙法案を衆議院に提出した(否決)。明治39年(1906年)には法律取調委員として刑法改正案を作成、その後、陸海軍軍法会議法や当時としては画期的な陪審法案の成立などにも関わり、審議における若槻禮次郎との丁丁発止のやり取りでも名をはせた。

こうした功績を評価され、明治42年(1909年)には帝国大学官立大学以外の卒業生として初の法学博士号を文部大臣より授与された(第二次世界大戦前の博士号に関しては学位参照。)。

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(1.2.刑事弁護の第一人者)
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(1.4.死去)
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出典:Wikipedia
2020/02/02 22:30
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