仮名手本忠臣蔵
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1.はじめに
江戸城松の廊下吉良上野介に切りつけた浅野内匠頭は切腹、浅野家はお取り潰しとなり、その家臣大石内蔵助たちは吉良を主君内匠頭の仇とし、最後は四十七人で本所の吉良邸に討入り吉良を討ち、内匠頭の墓所泉岳寺へと引き揚げる。この元禄14年から15年末(1701 - 1703年)にかけて起った赤穂事件は、演劇をはじめとして音曲、文芸、絵画、さらには映画やテレビドラマなど、さまざまな分野の創作物に取り上げられている。赤穂事件を「忠臣蔵」と呼ぶことがあるが、この名称は『仮名手本忠臣蔵』による。

『仮名手本忠臣蔵』の「仮名手本」とは、赤穂四十七士をいろは四十七文字になぞらえたものである。『仮名手本忠臣蔵』の討入りの場面にあたる十一段目にも、四十七士の姿が「着たる羽織の合印(あひじるし)、いろはにほへとと立ちならぶ」とある。赤穂事件は『仮名手本忠臣蔵』の初演以前から浄瑠璃や歌舞伎で扱われているが、松島栄一は赤穂事件を扱った先行作に『忠臣いろは軍記』、『粧武者いろは合戦』、『忠臣いろは夜討』など「いろは」という言葉が題名に含まれるものがあり、いっぽう元文5年(1740年)の江戸市村座では、これも赤穂事件を題材とする『豊年永代蔵』が上演されており、元禄の豪商淀屋辰五郎の家の蔵を「いろは蔵」と称した例があったことを指摘している。こうした当時の背景から赤穂事件に「いろは」(仮名の手本)と「蔵」が結びつき、『仮名手本忠臣蔵』という題名ができたとし、また「赤穂事件の中心人物である大石の名の内蔵助というのも、なにほどかの関係をもっているであろう」とも述べている[1]

赤穂事件を芝居で扱ったと確認できる早い例としては、元禄16年の正月に江戸山村座で上演された『傾城阿佐間曽我』(けいせいあさまそが)の大詰がある。曽我の夜討ちにかこつけ赤穂浪士の討入りの趣向を見せたという[2]。また元禄16年春に京都で上演された『傾城三の車』(近松門左衛門作)にも討入りの趣向が伺える。その後、赤穂事件を扱ったものとして『碁盤太平記』(近松門左衛門作)、『鬼鹿毛無佐志鐙』(吾妻三八作)、『忠臣金短冊』(並木宗助ほか作)など多くの作が上演されたが、これらを受けて忠臣蔵物の集大成として書かれたのが本作であり、『菅原伝授手習鑑』、『義経千本桜』とならぶ義太夫浄瑠璃の三大傑作といわれる。かつて劇場が経営難に陥ったとき、上演すれば必ず大入り満員御礼となったことから、薬になぞらえて「芝居の独参湯」とも呼ばれていたほどである。それだけに上演回数もほかの演目と比べれば圧倒的に多く、現在に至るも頻繁に舞台に取り上げられている。

『仮名手本忠臣蔵』は全十一段の構成となっている義太夫浄瑠璃である。本来ならその全十一段の「あらすじ」をまずまとめて示し、その後に作品の内容について解説すべきであるが、上でも触れたように本作は現在に至るまで頻繁に上演されている人気演目であり、この全十一段は文楽と歌舞伎いずれも、おおむね現行演目として伝承されている。従って段によっては、ひとつの段だけでも解説すべきことは多い。そこで本作については段ごとに原作の浄瑠璃にもとづく「あらすじ」と、その段についての「解説」に分け以下作品を紹介する。

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出典:Wikipedia
2019/09/06 10:00
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