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下筌ダム
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2.蜂の巣城紛争
2.2.紛争と公共事業への影響
この蜂の巣城紛争は、これ以降の日本の公共事業の在り方に極めて大きな影響を与えた。従来は開発一辺倒で下流への利益のみを追求し地元を省みなかったが、これ以後は下流受益地のみならず水没予定地・上流域の犠牲を蒙る地域の生活保護・産業振興がより重要視されることになった。室原の起こした行政訴訟は公共事業と基本的人権の整合性を世に問い、水没住民の財産権憲法第29条)の保護の重要性を訴えた。このことは行政を大きく動かし、ダム完成の同年「水源地域対策特別措置法」(略称「水特法」)が施行された。これは水源地域住民の生活安定と福祉向上を図るため、計画的な産業基盤整備を行い地域振興を図ることを目的としている。これ以降多くのダム建設において水特法が適用され、日吉ダム淀川水系桂川)のように一大観光地が形成される等水源地域の活性化に貢献している。この他河川法・特定多目的ダム法そして土地収用法の改正も行われ、より水没地域に配慮した法整備が行われた。一方、ダム建設が地元の合意がない限り着工されない傾向がより顕著となったため、寺内ダムのように極めて短期間で妥結される例は稀となり河川総合開発事業の長期化が顕在化した。八ッ場ダム川辺川ダムのように本体着工が計画発表から50年経ってもなされていない例もある。地球温暖化による異常気象で毎年のように豪雨災害・渇水が頻発している現状で、事業進捗の迅速性と水源地域住民への合意形成をどのように折り合い付けるか、今後更に問われている。

室原が考案した代執行の妨害はユニークなものが多く、川にたくさんのアヒルを放し、牛や馬までも抗議活動に参加させたり、糞尿をばら撒いたり、蜂の巣城のあちこちに水道管を張り巡らせたり、周囲の木に支援者の名札をくくりつけ(闘争記念樹)対抗していった。闘争記念樹については現在の公共事業の反対運動にみられる「立ち木トラスト」の原点と言われている。

室原は現在でも見られる盲目的「ダム建設反対」論者であった訳ではなく、地元を如何に守り活性化させて行くかを最優先に考えていた。故にダム建設後の町の在り方を反対運動の最中にも考えていた。建設省幹部との交渉・交流の中で室原は周辺整備についての意見を度々行い、地域住民が利用しやすい道路整備、湖水との景観に配慮した橋梁・トンネルの建設、観光資源活用のための遊覧船就航等を要望し、それらは全て建設省によって取り入れられている。水源地域の日田郡大山町はダム建設を機に特産品の育成を図るべくウメ栽培を始め、これが後の「一村一品運動」の嚆矢となっており日田市と合併した後も自立した産業育成に努めている。ダム湖は1988年(昭和63年)に「蜂の巣湖」と名付けられたが、これは蜂の巣城紛争に因んでおり公共事業の在り方を大きく変えたこの運動を忘れないという思いが込められている。また、下筌ダムの銘板にある「下筌ダム」の文字は室原が書いた「下筌ダム反対」の看板を建設省が勝手に写したものである。

蜂の巣城紛争と共に公共事業を進める上で銘記されなければならない意識として、室原の次の言葉がある。「公共事業は理に叶い、法に叶い、情に叶わなければならない」。

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出典:Wikipedia
2020/01/24 08:30
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