王貞治
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3.選手・監督としての特徴
3.2.監督として
監督就任時も周囲の助言を聞かず、実際に成績を出せなかったことから批判された事があった。しかしホークス監督時代からは先述の「選手と監督は同じ人間、分け隔てなく話し合うべき」と球団の上層部から諭されたことで考えを変えて、周囲の意見を積極的に取り入れるようになった。その結果ホークス黄金時代を築き上げ、非常に巧みな采配や選手育成の才能を発揮するようになった。監督勇退後の会長の身分になった今日でも、裏方としてながら適材適所に選手を獲得、育成に力を発揮し、強いホークスを維持する活躍をみせている。これらの事から性格は決して融通のきかない「頑固者」ではなく、むしろ人を使う才能は非常に長けており、名将として多くの選手、コーチをまとめあげている。

また指導者としての初期は、駒田徳広稲垣秀次などに、自身の一本足打法の習得を薦め、師匠の荒川博に指導を託したことがあった。特に体も大きく、21歳のシーズンに12本塁打を記録した駒田には大いに期待をかけたが、駒田には明らかに一本足打法が合わず成績を下げ、また王の求める高いレベルの要求がプレッシャーとなり、半ば逃げ出すように一本足打法の習得をあきらめてしまった。また、稲垣も一度も一軍に上がれず、結果を残せなかった。それ以後、王は自身の打法を選手に押し付けることをやめ、選手にあった指導をするようになった。

川上哲治を最高の監督と評しており、「プロ野球人の心構えを教えていただいた。9連覇は川上監督でなければなし得なかったと言い切れます。勝利への執念の結晶。笑顔の川上さんの写真を見て、いかに偉大だったか知りました」と述べた[97]。川上から勝利への執念を学び、自らの監督時代に、「一番勝ちたいのは俺なんだ」という川上哲治の言葉をよく使ったという[98]

電話好きとして有名で、1981年オフのドラフトで優勝校のPL学園の選手だった吉村禎章に対して意欲的に電話をかけ「テレフォンラブコール」による入団交渉をして、吉村はドラフト3位で巨人に入団した。またダイエー監督時代も、尾花高夫を一軍投手コーチとして招聘する際には自ら尾花の自宅に直接電話をして口説き落としている[99]

原辰徳が読売ジャイアンツの監督に再任した年の秋季キャンプ時、生放送のテレビ番組のインタビューで巨人原監督の話題の時、エールとして「ジャイアンツの監督なんてなりたくてなってる人間なんかいないんだから、のびのびやればいい」と送っている。

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(4.1.人柄・性格)
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出典:Wikipedia
2019/08/16 14:31
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