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奥田民生
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概要
奥田 民生(おくだ たみお、1965年5月12日 - )は、日本ミュージシャンシンガーソングライターギタリスト音楽プロデューサー。ロックバンド・UNICORNのメンバー。身長171cm。広島県広島市東区尾長出身。血液型B型

1987年、ロックバンド「UNICORN」のボーカリストとしてデビュー。「大迷惑」「働く男」「すばらしい日々」など、数々のヒット曲を世に送り出し、バンドブームの寵児ともいわれた。バンドは1993年に解散(2009年に再結成)。その後、約1年間の充電期間を経て、1994年からソロ活動を開始。

以降、ソロ活動の傍ら、女性デュオ「PUFFY」のプロデュースや、井上陽水とのユニット「井上陽水奥田民生」をはじめとした様々なミュージシャンとのコラボレーションなど、バンド、ソロ、プロデュースあらゆる音楽活動において大きな成功を収めている。ソロ活動においての代表曲は、『愛のために』、『イージュー★ライダー』、『さすらい』など。

経歴[編集]

広島市立尾長小学校、広島市立二葉中学校、広島皆実高校卒業。
中学生の頃に、初めてバンドを結成。

「当初は端でベースを弾いていたが、女の子がキャーキャー言い始めたため、引っぱり出されてフロントマンになった」とされる『INLIFE 男の履歴書』[2]の記述は誤りで、「最初からギターです」と宝島社『smart』2018年8月号にて語っている。

高校時代には、アーチェリー部に所属、県の新人戦で優勝した経験がある。広島電子専門学校に進学後も、音楽活動を継続(後に専門学校は中退)。

ユニコーン時代[編集]

1986年、「ユニコーン」にボーカルとして加入。同年7月ソニーミュージックのオーディションに合格。1987年、ユニコーンは広島から上京、アルバムBOOM』でデビューを果たす。

1989年に発表したファーストシングル「大迷惑」の大ヒットをきっかけにブレイク。以降、「働く男」「ヒゲとボイン」「雪が降る町」「すばらしい日々」などのヒット曲を生み出す。

1990年、期間限定で「THE BAND HAS NO NAME」を結成、同じ事務所のBe-Modernを解散した直後の3人(現SPARKS GO GO)とともにアルバム『BAND HAS NO NAME』をリリース。
1992年、同じ広島県出身であるJUN SKY WALKER(S)寺岡呼人とのユニット「寺田」を結成してツアーを行う。リリースはない。2004年、後述の「ひとり股旅スペシャル@広島市民球場」の後夜祭にて、同郷のCHEMISTRY堂珍嘉邦を交えて3人で「寺田堂」を結成。その後もイベント等でしばしば寺田として登場し、さまざまな曲のカバーを中心に演奏している。
夢で逢えたら」のテーマ曲にユニコーンが起用され、同番組にも何度か出演。その後『ダウンタウンのごっつええ感じ』にて、阿部義晴と共に準レギュラーとして「民生くんとアベくん」のコーナーを担当。
1993年9月21日、『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)内で、ユニコーンは解散を発表、7年間の活動に終止符を打つ。

ソロ・プロデュース活動[編集]

およそ半年間の充電期間の後、1994年にシングル「愛のために」でソロ活動を開始。同曲は、ソロデビューシングルにして、自身初のミリオンセラーを達成。

1996年、音楽プロデューサーとして、女性デュオ「PUFFY」をデビューさせる。彼女たちの特異な脱力感、無気力感、気だるそうな立ち居振る舞いが話題になり、大ヒット。プロデューサーとしても注目を集める。

1997年井上陽水とのコラボレーションユニット「井上陽水奥田民生」を結成。アルバム『ショッピング』を発表し、年末まで活動。浜田雅功のソロシングル「春はまだか」のプロデュースも行い、浜田の番組『人気者でいこう!』にも出演した。

1998年、ギター一本の弾き語りライブ「ひとり股旅」ツアーを行う。

2000年代[編集]

2000年、北海道のローカル番組『鈴井の巣』(HTB)に出演、大泉洋率いる「大泉バンド」のデビュー曲「負け戦」を作曲。

2001年、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2001」に出演。

2002年東京スカパラダイスオーケストラのシングル「美しく燃える森」に、ゲストボーカルとして参加。Char山崎まさよしとの3人によるユニット「三人の侍」を結成し、北海道のフェスに参加。

2003年真心ブラザーズYO-KINGらと4人組バンド「O.P.KING」を結成し、ミニアルバム『O.P.KING』を発表。「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2003」に2回目の出演。

2004年、ソロ10周年を記念して、広島市民球場にてコンサート「ひとり股旅スペシャル@広島市民球場」を敢行、唯一、広島市民球場でのコンサートを実現させた歌手となった。また、自身がパーソナリティーを務めるラジオ番組『OH! MY RADIO』(J-WAVE、奥田は月曜日担当)も12月に復帰(3月で卒業)。

2005年、広島球場でのドキュメンタリーにドラマを加えた映画『カスタムメイド10.30』が公開。「THE BAND HAS NO NAME」を15年ぶりに再開、アルバム『II』をリリースし、フェスにも参加。同年10月7日、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2005」3回目の出演。

2006年、「三人の侍」の全国ツアーを、4月から神戸を皮切りに行う。9月には、阿部義晴の40歳記念ツアーにジェット機らとともに参加。また、9年振りに井上陽水奥田民生を再結成し、12月にシングル「パラレル・ラブ」をリリース。2007年にかけてユニットとしては初のツアーを行う。
米のバンド「The Verbs」にサポート参加し「The Verbs + 奥田民生」としてフェスなどに参戦。


2007年、デビュー20周年を迎える。井上陽水奥田民生名義のセカンドアルバム「ダブルドライブ」を発表。10月24日にトリビュートアルバム『ユニコーン・トリビュート』、『奥田民生・カバーズ』が発売。12月8日には、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2007」に4回目の出演。12月14日に過去のアルバム(ユニコーン時代のコンピレーションは除く)を紙ジャケ仕様で再発。

2008年、自身最高傑作と豪語するアルバム『Fantastic OT9』を発表、1年で2度の全国ツアーに出る。12月8日には、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2008」に5度目となる出演を果たす。

2009年、ユニコーン活動再開。ユニコーンの活動と並行して、夏フェスでは「ひとり股旅(北海道ではひとりポックル)」として参加し、また同年11月公開の映画『僕らのワンダフルデイズ』の音楽アドバイザーおよび劇中歌の楽曲提供、主題歌を担当するなどソロ活動も精力的に行っている。7月1日に所属事務所のソニー・ミュージックアーティスツ(Sony Music Artists、略称SMA)顧問に就任する。また、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2009」に出演(自身6度目)した。

2010年代[編集]

2010年東京スカパラダイスオーケストラのシングル「流星とバラード」に、8年ぶり2度目のゲストボーカルとして参加。3月よりレコーディングソロツアー『ひとりカンタビレ』開催。通常のライブとは違い、各会場で新曲の制作を行うレコーディング・ライヴであり、観客の前ですべての楽器を自身でプレイ、レコーディングし、できた楽曲を配信リリースするという企画である。追加公演を含む全10公演、10曲のレコーディングを完了させた。これらの楽曲は後にスタジオでリミックスされ、8月4日に10thアルバム『OTRL』としてリリースされた。

プロデュース業も並行して行い、髭(HiGE)のシングルおよびアルバム「サンシャイン」の収録曲の数曲をプロデュース。

The Verbsへの正式加入が発表され、来日公演に参加。基本、奥田は国内での活動となっているが、2015年に米ツアーに参加することが発表された。

2011年、2004年以来となる「ひとり股旅スペシャル」を広島・厳島神社にて開催。

映画『マイ・バック・ページ』の主題歌として、真心ブラザーズとのユニット「真心ブラザーズ+奥田民生」名義でシングル「My Back Pages」リリース。

2012年、上記の延長として3人による新ユニット「地球三兄弟」の結成、リリースとツアーを発表。

2013年、地元、広島にある企業・マツダとのタイアップにより、「風は西から」リリース。同曲はマツダの企業CM・「Be a driver.」のCMソングとして書き下ろされた。

2013年、5月、岸田繁(くるり)伊藤大地とともに、「サンフジンズ」[3]として『JAPAN JAM』[4]に登場した。

2015年、5月に生誕50年記念ライブ「OT50祭"もみじまんごじゅう"」公演を開催。

長年在籍したソニー系レーベルを離れ自主レーベル「ラーメンカレーミュージックレコード」設立を発表。[5]

同年11月28日MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島にて「奥田民生ひとり股旅スペシャル@マツダスタジアム」公演を開催。ライブ中盤にてサプライズ的に広島東洋カープ前田健太大瀬良大地が登場し、打者に奥田、捕手に大瀬良、投手に前田と言う形式で「始球式」が行われた。

2016年スキマスイッチの「全力少年」をプロデュース(リアレンジ)した楽曲が「全力少年produced by 奥田民生」のタイトルでリリースされる[6]

2020年代[編集]

2020年、日本テレビ系テレビアニメ『ハクション大魔王2020』の主題歌を担当。「サテスハクション」を書き下ろした。

人物[編集]

性格[編集]

非常にミーハーな一面があり『ザ・ベストテン』の広島からの中継は、ほぼ見に行ったという(二葉中学からの西城秀樹広島三越前(賀茂鶴オアシス)からの沢田研二広島駅新幹線口からの田原俊彦他)[7]2004年にパーソナリティーを担当した『OH! MY RADIO』においても「ブリトニー可愛い」、「ブリトニーも可愛いがビヨンセはもっと可愛い、ポスターも買った」、「伊東美咲超可愛い」などミーハーぶりを発揮していた。「アヴリルはそうでもない」らしい。さとう珠緒グラビアを中心に活動していた頃、大ファンで「どんな人かは知らないけど笑顔がいい。頑張ろうという気持ちになる」とのことから自身のライブ用の機材にグラビアの切抜きを片っ端から貼り付けていた時期があった[8]小泉今日子の大ファンであり、『HEY!HEY!HEY!』で共に出演した際にはまともに彼女を見ることも出来ず、司会のダウンタウンの2人に冷やかされるほどガチガチに緊張してしまった。
井上陽水は普段の奥田の性格を非常に寡黙であると語っている[9]。同放送では、井上、奥田、トータス松本が飲んでいた際、松本が音楽に対するモチベーションの低下からミュージシャンを辞めて俳優転向を考えていると洩らしたところ、奥田は非常に厳しい言葉で松本を引き止めたというエピソードが井上から語られた。井上は、普段寡黙である奥田からは考えられないようなキツい物言いをすることに驚き、松本に謝罪するよう諭したとも語った。

音楽性[編集]

ROCKIN'ON JAPAN誌からは、「日本一のロック大将」[10]と称えられ、朝日新聞からは「J-POPの大立者」ともいわれている[11]ROCK IN JAPAN FESTIVALには10年連続参加しており、数少ない皆勤賞のアーティストである。その他にも、毎年多くのフェス、イベントに参加し、他のアーティストとの交流は多いようである。特に同年代のアーティストとはよく絡み、トータス松本草野マサムネ山崎まさよし斉藤和義桜井和寿岡野昭仁吉井和哉とはしばしばテレビ、雑誌などで共演することがある。
音質に関してCDの音質に満足出来ず、カーオーディオDAT搭載モデルがない事[12]を嘆いていた。アルバム『FAILBOX』以降はほぼ全ての作品をアナログ盤でもリリースしている。2002年以降に、レコード会社各社が導入したコピーコントロールCDについても、ミュージシャン側で導入前から音質面に大きな問題がある事を把握していた、数少ない人物の1人であった。[13][14][15][16][17][18]
ギターコレクターであり、かなりの数のギターを所有している。中でも、ギブソン社製のギターが多く、名器・1959年レスポール・スタンダードを長年に渡りメインで使用してきた。なお、40歳の誕生日に、ギブソン社からカスタムショップ製作のレスポール・スタンダード(キャンディレッド)を贈呈され、2008年8月には、近年メインで使用しているレスポール・スペシャル(P-90ピックアップ、ビグスビー、TVホワイト・フィニッシュ)を忠実に再現した、カスタムショップ製作の「Gibson Custom Shop The INSPIRED BY Series Okuda Tamio Les Paul OT Special」が100本限定で製造・販売された(2008年8月1日現在。奥田民生公式ホームページにて発表)。2013年の「SPICE BOYS」ツアーでは、前述の1959年製レスポール・スタンダードを忠実に再現したギブソン・カスタムショップ製のレプリカモデルを(パイロットランとして)使用し、2015年に同モデルが限定生産という形で市販された[19]
歌詞に関しては、数々のインタビューにおいて、あまり重要視していないと語っているが、意味がないようでさまざまに解釈できるため、曲の魅力を引き立てるものとなっている。また、「それはなにかとたずねたら」という曲において、「なべつかみ」という単語を入れたことを自慢していたらしい(スタッフ談)。その他にも、ユニークでナンセンスな歌詞が多い。楽曲自体にも多数見受けられるが、楽曲のタイトルもまた、有名な書籍や楽曲などのタイトルのパロディとなっているものが多数ある。例:「ワインのばか」(元ネタはロシアの民話『イワンのばか』)、「AND I LOVE CAR」(ビートルズの「AND I LOVE HER」)、「怒りの別件」(ブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』)等。
PUFFYプロデュースの動機は、90年代半ば、小室哲哉小林武史らがアーティストとして活動する傍ら、プロデューサー業に乗り出して目覚ましい活躍を納めていたことが大きい。同様のことが自分に出来るかどうか挑戦してみたかった、と著書で述べている[20]。これによりプロデューサーとして評価され、浜田雅功木村カエラHiGEのプロデュースも手がけたことがある。

趣味[編集]

趣味は、釣りと車。バスプロ今江克隆、河辺裕和とは、兼ねてから親交がある。車に関しては、レーサー脇阪寿一とも交流があり、4歳の頃に車のエンジン音を聞いただけで「ありゃルーチェじゃろ。ありゃぁシルビアじゃろ。」と言い当てた、という逸話を持つ車好きである。歌詞の中にも、度々車やバイクに関するネタが登場し、それらの曲を集めたコンピレーション・アルバムCAR SONGS OF THE YEARS』を発表している。愛車は、ダッジ・マグナム 、初代カマロなどの外車のほか、最近は黒のスバル・R1に乗っており、タイヤホイールとマフラーの交換や、パドルシフト仕様への改造など、車へのこだわりが垣間見られる(カーライフスタイル誌デイトナや、BSフジの番組『所さんの世田谷ベース』でも、奥田のR1が取り上げられた)。また、2012年にプロデュースしたチャットモンチーの「CHA-CHA-CHA石井明美ver.のカバー)」では、曲冒頭で愛車カマロのエンジン音が録音されている。
過去に男性ファッション誌「BOON」の企画において、リージーンズコンバーススニーカーなどの奥田仕様の別注モデルを制作したことがある。G-SHOCKの奥田民生モデルも限定販売を行ったことがある。
オン・オフ問わずサングラスを着用していることが多い(もともと視力は良い)が、本人曰くサングラスを着用するのは「照れ隠し」とのこと。近年はフォーナインズのフレームを愛用している。[21]

出身地にまつわるエピソード[編集]

父は元広島市議会議員(日本共産党[22][23][20][24](引退後は飲食店経営)だったため、子供時代は『赤旗(現『しんぶん赤旗』)』配達などを手伝っていた。「民生(たみお)」の名も音読みが同じ「民青(みんせい)」から来ている。父親の選挙の応援時にミニライブを行ったことがある。
広島のプロスポーツチームである広島東洋カープサンフレッチェ広島の大ファンである。
2000年3月にはタワーレコードのポスターで、当時カープの監督だった達川光男(達川晃豊)と共演(2種類有り、うち1枚は「奥田のカープ入団会見」風のポーズ[25])。また、山本浩二の息子がユニコーン時代からのファンであったこともあって奥田本人が結婚式に参加して自身の曲「息子」などを歌った。
カープのマスコット「カープ坊や」の顔を奥田のイラストに変えた「民生坊や」をカープが公式グッズとして販売している(選手応援セットとして入場券とセットで販売[26])。また、マツダスタジアムで試合開始前・7回裏に放映される「それ行けカープ」のカープファンリレー映像にも2015年版で名を連ねている[27]
2004年10月30日には、初代の広島市民球場において、同球場史上初のコンサート「ひとり股旅スペシャル@広島市民球場」を行った。なお、本ライブの開会宣言を行ったのは、当時広島東洋カープ監督であった山本浩二であった。
2015年にマツダスタジアムにおいて、同球場開場以来初のコンサート「ひとり股旅スペシャル@マツダスタジアム」を行い、ライブ発表当日(2015年シーズンの開幕戦)の始球式では松井一實広島市長の投じた球を受ける捕手役を務めた[28]
2012年元旦の中国新聞朝刊の「カープV逸20年 私の提言」にて『負けたとき,もっと怒ろう』と題し、ファンを過激に叱咤激励する内容の寄稿を行っている。また、2015年に黒田博樹がメジャーリーグから復帰した際には、所属事務所を通じて「私は泣いています」というメッセージを寄せている(ちなみに3月29日の復帰後公式戦初登板はマツダスタジアムにて現地観戦している)。
2003年、アルビレックス新潟の応援チャントとして使われているユニコーン時代の曲「I'M A LOSER」の替え歌「アイシテルニイガタ」をサポーターズCDに収録するために許諾を奥田に求めたところ、奥田は「サンフレッチェ広島の敵に曲を提供することはできない」と許諾を拒否したという(当時新潟と広島は共にJ2に所属しており、昇格争いのライバルだった)。現在も「アイシテルニイガタ」は新潟のサポーターズCDに収録されていない。
吉川晃司(寺田堂(前述)で「モニカ」と「Y.M.C.A.」のパロディーを披露)、元T-BOLAN森友嵐士は同級生。広島皆実高校の先輩には吉田拓郎(ひとり股旅スペシャル@広島市民球場で「唇をかみしめて」をカバー)、後輩に磯部正文(元HUSKING BEE)、MEG為末大らがいる。

エピソード[編集]

デビュー前、アルバイト先の喫茶店で「民生スペシャル」という鶏肉中心の定食メニューを考案した[29]。そのアルバイト先の喫茶店の店長が後年当時のエピソードを綴った、アイドルやミュージシャンにありがちな暴露本を奥田に無断で出版、それに激怒した奥田は店長と絶縁したとされている。「悩んで学んで」のPVでは一瞬だけその本が燃えているシーンがある。
1995年9月8日、5歳年上のユニコーン当時のスタイリスト美由紀(旧姓佐野)と結婚。8月25日には音楽仲間の世良公則井上陽水、渡辺満里奈らを招いて披露宴も開催。
ユニコーン在籍時、ソロ活動もまだの段階で『PATi PATi』発の単行本『奥田民生ショウ』(ソニー・マガジンズ、1992年)という奥田個人の本が出た[30](尚、13年後の2005年には本著の続編となる『奥田民生ショウ2』が発売された)
奥田のファンだと言う木村拓哉とテレビで共演した時、木村が一番好きな曲と言うPUFFYに書いた「海へと」を演奏した。この時、木村が「こんないい曲、何で自分で歌わないんですか」と聞くと「いやぁ時間が無くて」と締め切りに間に合わず、やむなくPUFFYに渡したことを明かした。後に「海へと」自体はライブ盤で民生バージョンがCD化された。
大のゲーマーで、ユニコーン時代に雑誌に連載を持つほどであった。『電気グルーヴのオールナイトニッポン』では「スーパーファイヤープロレスリング」でピエール瀧との熱戦を繰り広げた。『ダウンタウンのごっつええ感じ』において、松本人志と「テトリス」や「ぷよぷよ」「マリオカート」で対決し勝利したこともある。シンプルなゲームが好きなようで一時期はWindowsピンボールに熱中しており、毎日2時間はプレイしていたという[31][32]
Char山崎まさよしとの3人によるユニット「三人の侍」の全国ツアーの際、ステージにはユニットの家紋が飾られ、刀を携え、侍語のアピールに、歌詞以外は外来語を禁止、ビートルズの歌を歌う時は「次はかぶとむしの歌でござる」、「アレルギーの特効薬」という曲は「腫れ物全般の特効薬」などと紹介していた。
奥田と親交のある小原礼尾崎亜美夫妻がホスト役を務めた日本BS放送(BS11)の音楽番組『MUSICA〜音のおもてなし〜』では、毎年、新年最初の放送に奥田がゲスト出演するのが恒例となっていた。
ユニコーンでのデビュー前、おニャン子クラブの男性版「息っ子クラブ」のオーディションを受けていたことが、元息っ子クラブのメンバーのインタビュー記事内で明らかになっている[33]

影響[編集]

漫画家のいくえみ綾が奥田のファンであり、奥田の楽曲をモチーフとした作品『スカイウォーカー』を発表している。
渋谷直角は2015年に奥田に憧れる男性を描いた漫画『奥田民生になりたいボーイ 出会う男すべて狂わせるガール』を発表。2017年に大根仁監督により『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』のタイトルで映画化が予定され、奥田の曲も使用される[34]
学生時代はLOUDNESSに憧れていたとのこと[35]

ライブ[編集]

ライブ・バンド[編集]

GOZ 第1期 1995年 - 2002年、2004年、2015年[編集]


奥田民生:ヴォーカル/ギター/サックス/ハーモニカ
長田進(Dr.StrangeLove):ギター/コーラス
斎藤有太:キーボード/コーラス
根岸孝旨(Dr.StrangeLove):ベース/コーラス
古田たかし(Dr.StrangeLove):ドラム/コーラス

GOZ 第2期 2002年 - 2003年[編集]


奥田民生:ヴォーカル/ギター/サックス
長田進:ギター/コーラス
斎藤有太:キーボード/コーラス
根岸孝旨:ベース/コーラス
古田たかし:ドラム/コーラス/フルート
西岡英朗:パーカッション/トランペット/コーラス
ワンツー佐藤(佐藤一二):ドラム(古田がフルートを演奏している時)

MTR&Y 2005年 - 現在[編集]


奥田民生:ヴォーカル/ギター/ハーモニカ
斎藤有太:キーボード/コーラス
小原礼:ベース/ コーラス
湊雅史:ドラム

ひとり股旅[編集]

奥田のライブ形態の一種。作務衣(松本人志から「一人ごっつ」用のものを譲り受けた)にタオルを頭に巻いた出で立ちで、バックバンドは一切設けずアコースティックギター1本で事務用の椅子に座って演奏する。MCでは酒を挟み、演奏曲もその時の気分で決められる。通常のライブでは披露することの無いカバー(ブラックビスケッツタイミング」、エキセントリック少年ボウイオールスターズ「ああエキセントリック少年ボウイ」等)が披露されるのも特徴のひとつ。1998年の「ひとり股旅ツアー」終了後も単独ライブやロックフェスティバルで時折開催されるようになり、2004年の広島市民球場ライブは、当初は球場の周辺に住宅地が多く存在するため騒音問題を懸念した球場側が難色を示していたが、ひとり股旅形式で行う事を条件に開催が実現した。

ワンマンライブ・主催イベント[編集]

1995年 - tamio okuda TOUR "29-30"
1996年 - okuda tamio tour '96 イージュー☆ライダー
1996年 - 奥田民生 LIVE WORKS SPECIAL "WEEKEND NIGHT FEVER with his friends"
1997年 - okuda tamio tour '97 股旅
1998年 - okuda tamio tour '98 股旅ふたたび
1999年 - okuda tamio tour '99 CANNONBALL
2000年 - okuda tamio TOUR 2000 GOLDBLEND
2001年 - okuda tamio tour 0102 奥田STANDARD民生CUSTOM
2002年 - OKUDA 3 NIGHTS
2002年 - okuda tamio live E 0203
2003年 - okuda tamio live Ez
2004年 - okuda tamio TOUR OT10
2004年 - ひとり股旅スペシャル@広島市民球場
2005年 - okuda tamio tour"MTR&Y 05"
2006年 - okuda tamio Cheap Trip 2006
2006年 - 三人の侍〜旅情編〜
2006年 - The Verbs + 奥田民生 #1st Tour 2006
2007年 - DOUBLEHEADER @ZEPP LEAGUE
2008年 - okuda tamio FANTASTIC TOUR 08
2008年 - okuda tamio FANTASTIC TOUR "AGAIN" 08
2010年 - 奥田民生ひとりカンタビレ
2010年 - The Verbs JAPAN TRIP 2010
2010年 - OKUDA TAMIO JAPAN TOUR MTR&Y 2010
2011年 - okuda tamio tour 2011-2012 〜おとしのレイら〜
2011年 - ひとり股旅スペシャル@嚴島神社
2013年 - 奥田民生 2013ツアー"SPICE BOYS"
2013年 - ひとりギロッポン
2015年 - 秋コレ 〜MTR&Y Tour 2015〜
2015年 - ひとり股旅スペシャル@マツダスタジアム

出演イベント[編集]

ディスコグラフィ[編集]

ソロ名義の作品を記載。井上陽水奥田民生O.P.KINGTHE BAND HAS NO NAMEのリリース作品は各記事を参照。

シングル[編集]

以下の3作品は当初、LGCD2(コピーコントロールCDで発売されたが、SMEのLGCD廃止に伴い、店頭回収、新品番にてCD-DA盤がリリースされ、ジャケットの「cccd」の文字は「cd」となった。
『スカイウォーカー』旧品番:SECL-83 → 新品番:SECL-321
『何と言う』旧品番:SECL-99 → 新品番:SECL-327

オリジナルアルバム[編集]

1st〜11thのリマスタリングしたものをまとめた『OT REMASTERS』というBOXが2014年10月22日に発売された。

企画盤[編集]

配信限定[編集]

シングル[編集]


ひとりカンタビレ[編集]


2010年に行われたレコーディングツアー「ひとりカンタビレ」にて制作された楽曲。これらはライブ終了の3〜4時間後には配信が開始された。

映像作品[編集]


■LIVE
tamio okuda TOURDUST "0-30"(1995年)
TOUR 1997 股旅(1998年)
ひとり股旅(1999年)
TOUR 2000 GOLDBLEND(2000年)
OKUDA TAMIO LIVE SONGS OF THE YEARS / DVD(2003年)
ひとり股旅スペシャル@広島市民球場(2005年)
okuda tamio Cheap Trip 2006(2006年)
okuda tamio FANTASTIC TOUR 08(2008年)
OKUDA TAMIO JAPAN TOUR MTR&Y 2010 C.C.Lemon Hall(2011年)
ひとり股旅スペシャル@厳島神社(2012年)
奥田民生2013ツアー SPICE BOYS at 中野サンプラザ(2014年)
奥田民生ひとり股旅スペシャル@マツダスタジアム(2016年)
奥田民生 生誕50周年伝説“となりのベートーベン"(2016年)

PV集[編集]


OT clips of the years Vol.2(2004年)

その他参加作品[編集]

渡辺満里奈のアルバム『a piece of cake!』(1990年)に「夜道」(/渡辺満里奈・奥田民生)収録。
ピチカート・ファイヴのアルバム『月面軟着陸』(1990年)の「これは恋ではない」にラップで参加
鈴木祥子のシングル「たしかめていてよ」(1998年)共同作曲、ギター、コーラス
ムーンライダーズのシングル「SWEET, BITTER, CANDY-秋 - 冬」(1998年)の2番にゲストボーカルとして参加。
忌野清志郎30周年記念ライブアルバム『RESPECT!』(2000年)でRCサクセションのカバー「つ・き・あ・い・た・い」(/奥田民生)収録。
大貫妙子、奥田民生、鈴木慶一宮沢和史矢野顕子共同名義のライブアルバム『LIVE Beautiful Songs』(2000年)に参加
矢沢永吉トリビュート・アルバム『JOYRIDE』(2001年)に「世話がやけるぜ」(/奥田民生)収録
真心ブラザーズのシングル『明日はどっちだ!』(2001年)の「明日はどっちだ!(CM Version)」にギターとして参加
東京スカパラダイスオーケストラのシングル「美しく燃える森」(2002年)、「流星とバラード」(2010年)にゲストボーカルとして参加。
桑田佳祐のアルバム『TOP OF THE POPS』(2002年)に「光の世界」(/桑田佳祐&奥田民生)収録。
スピッツのトリビュート・アルバム『一期一会 Sweets for my SPITZ』(2002年)に「うめぼし」(/奥田民生)収録。
つじあやののアルバム『COVER GIRL』(2004年)に「シャ・ラ・ラ」(/つじあやの&奥田民生)収録(原曲はサザンオールスターズ)。
井上陽水のトリビュート・アルバム『YOSUI TRIBUTE』(2004年)に「リバーサイド ホテル」(/奥田民生)収録。
真心ブラザーズのトリビュート・アルバム『真心COVERS』(2004)に「空にまいあがれ」(/奥田民生)収録。
ウルフルズのアルバム『ええねん』(2004年)の「Sleep John B]」にコーラスとして参加
ジョン・レノンのトリビュート・アルバム『HAPPY BIRTHDAY,JOHN』(2005年)に「HEY BULLDOG」(/奥田民生)収録。
SPARKS GO GOのアルバム『VANITY』(2005年)の「Something Wild」にヴォーカル・ギターで参加(事実上THE BAND HAS NO NAMEとしてのテイク)。
サディスティック・ミカ・バンドのライブ・アルバム『LIVE in Tokyo』(2007年)にスペシャルゲストとして参加。
Fairlife(浜田省吾の音楽プロジェクト)のアルバム『パンと羊とラブレター』(2007年)の「鳥のように消えた日 feat.奥田民生」にボーカルとして参加。
AC/DCのトリビュート・アルバム『THUNDER TRACKS』(2008)に「Whole Lotta Rosie」(/奥田民生)収録。
上田現のトリビュート・アルバム『Sirius〜Tribute to UEDA GEN〜』(2008年)に「プレゼント」(/奥田民生)収録。
JUDY AND MARYのトリビュート・アルバム『JUDY AND MARY 15th Anniversary Tribute Album』(2009年)に「散歩道」(/奥田民生)収録。
LAZYのシングル『感じてKnight』(2009年)にULTIMATE LAZY for MAZINGER(LAZY、奥田民生、斉藤和義JAM Project)として参加。
THE BOOMのトリビュート・アルバム『BOOMANIA〜THE BOOM SPECIAL BEST COVERS〜』(2009年)に「君はTVっ子」(/奥田民生)収録。
くるりのトリビュート・アルバム『くるり鶏びゅ〜と』(2009年)に「ばらの花」(/奥田民生)収録。
THE YELLOW MONKEYのトリビュート・アルバム『THIS IS FOR YOU〜THE YELLOW MONKEY TRIBUTE ALBUM』(2009年)に「LOVE LOVE SHOW」(/奥田民生)収録。
樋口宗孝追悼ライブ 2009 Munetaka Higuchi Forever Our Hero』(2009年)にゲスト参加(後にDVD化)
ARBのトリビュート・アルバム『ARB COVERS』(1998年)に「ラ・ラの女」をBAR(奥田民生、森純太、岡本雅彦、鈴木“MOH”友行)として参加。
スキマスイッチのシングル「全力少年 produced by 奥田民生」をプロデュースするとともに、コーラス・ギター・パーカッション・ドラム・ベースで参加。
THE GOGGLESのトリビュート・アルバム『MAGICAL MYSTERY COVERS』(2018)に「TWITT AND CHATT(ツイットアンドチャット)」(/奥田民生)収録。

受賞歴[編集]

1998年
第16回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主題歌賞(『さすらい』、ドラマ『Days』主題歌)

楽曲提供[編集]

石川さゆり
「スロウサーフィン」 作詞・作曲・編曲:奥田民生 大泉バンド
大貫亜美
尾崎亜美
葛山信吾
木村カエラ
「ROCK ON」 作詞:木村カエラ、作曲・編曲:奥田民生
「1115」 作詞:木村カエラ、作曲・編曲:奥田民生 KinKi Kids
CHEMISTRY
小泉今日子
「オトコのコオンナのコ」 作詞:小泉今日子、作曲:奥田民生、編曲:菅野よう子 小林克也 & ザ・ナンバーワン・バンド
西城秀樹
坂本美雨
THE COLLECTORS
ササジーズ
サディスティック・ミカ・バンド
清水小百合
シーラカンズ(映画『僕らのワンダフルデイズ』サウンドトラック)
「僕らの旅」 作詞・作曲:奥田民生 柴咲コウ
鈴木祥子
「赤い実がはじけてた」 作詞:鈴木祥子・只野菜摘、作曲:鈴木祥子・奥田民生、編曲:鈴木祥子・奥田民生・斎藤有太 ダウンタウン
TUBE
長田進 with GRAPEVINE
中山忍
芳賀ゆい
PUFFY
これが私の生きる道」 作詞・作曲・編曲:奥田民生
他多数 浜田雅功
「ラブレター」 作詞:高須光聖、作曲:奥田民生 ※ベースを弾いているのは浜田の息子であるハマ・オカモト(OKAMOTO'S)。クレジットには“人の息子”と表記。 濱田マリ
Hit&Run軍団
藤井フミヤ
「嵐の海」 作詞・作曲・編曲:奥田民生、ホーンアレンジ:佐橋佳幸 ※ 奥田の自宅録音がそのまま作品となり、PVにも出演 松浦善博
森山愛子
矢野顕子
山瀬まみ
「地球よ 私のために廻れ!」 作詞:朝野深雪、作曲:奥田民生、編曲:すがいゆきお・横関敦 吉田ヒロ

書籍[編集]

『奥田民生ショウ』/奥田民生・宇都宮美穂(1992年、ソニー・マガジンズ
『奥田民生ショウ』/奥田民生・宇都宮美穂(1993年、ソニー・マガジンズ文庫) 文庫化
『FISH OR DIE』/奥田民生(1996年、角川書店
『FISH OR DIE』(1999年、角川文庫) 文庫化
『奥田民生別注武運』(1999年、祥伝社
『奥田民生別注 武運復刻』奥田民生のただいま別注中」ダイジェスト版DVD封入(2004年、祥伝社)
『別冊カドカワ総力特集奥田民生』カドカワムック No.206(2004年、角川書店)
『俺は知ってるぜ』/奥田民生(2004年、ロッキングオン
『奥田民生ショウ2』/宇都宮美穂・三浦憲治(2005年、ソニーマガジンズ)
『別冊カドカワ総力特集奥田民生』カドカワムック No.266(2008年、角川書店)
『Gus & Me』/キース・リチャーズ(著), 奥田民生(翻訳)(2014年、ポプラ社
『ラーメン カレー ミュージック』/奥田民生(2014年、KADOKAWA / 角川マガジンズ)
『奥田民生ギター弾き語り全曲集』

ゲーム[編集]

『○○おもいっきり男』/奥田民生監修(2003年)

ミュージックビデオ[編集]

出演[編集]

MV[編集]

サザンオールスターズ天国オン・ザ・ビーチ」(2014年)

脚注[編集]

SMEが全リリース作品レーベルゲートCD化の発表をして以降最初のシングル、「サウンド・オブ・ミュージック」発売直前、公式掲示板にスタッフから「レーベルゲートCDでのリリースとなります」との書き込みがあり、掲示板には多くの批判や通常のCD(以下CD-DA)でのリリースを望む意見が書き込まれた。これを受け奥田自身が公式サイト上で異例のコメントを発表、CCCD導入に至った経緯を説明した

関連項目[編集]

O.P.KING - 2003年の夏限定のバンド。メンバーはYO-KING(真心ブラザーズ)、奥田民生、大木温之(The ピーズ)、佐藤シンイチロウ(the pillows)の4人。
広島エフエム放送 - 奥田が局のロゴマークを作成。

外部リンク[編集]

奥田民生 | OKUDA TAMIO
奥田民生 STAFF (@OT_staff) - Twitter
RCMR (@RCMR_official) - Twitter
奥田民生(RAMEN CURRY MUSIC RECORDS) - YouTubeチャンネル(奥田及びRAMEN CURRY MUSIC RECORDSの動画チャンネル)
Excite エキサイト: ミュージック: 奥田民生: ブログOT - 本人によるウェブログ(終了)
「okuda tamio FANTASTIC TOUR 08」ライブレポートミュージックシェルフ
出典:Wikipedia
2020/03/13 10:30
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