逸見政孝
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1.来歴・人物
1.3.フリー転身後
1987年に勤続20年を迎えた逸見は、管理職に昇格したことによって『FNNスーパータイム』以外の番組への出演機会が徐々に減少。「生涯、一アナウンサーでありたい」との思いが強くなり、同年11月に退職願を提出。翌1988年3月末を以って、アナウンス部副部長待遇を最後にフジテレビを円満退職した。三木プロダクションと業務提携を結んだ「オフィスいっつみい」を設立(社長は晴恵で、逸見は平社員。後に「株式会社オフィスいつみ」に社名変更)してフリーとなる。
フリー転身後、『FNNスーパータイム』については、フジテレビと番組でキャスターとしてコンビを組んでいた安藤優子が強く希望したことから、1年間キャスターを続けた[9]。テレビでは『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』、『夜も一生けんめい。』、『たけし・逸見の平成教育委員会』など数多くの人気番組の司会を務め、「いっつみい」の愛称で、視聴者から高い好感度を得た。ラジオの『オールナイトニッポン』でパーソナリティを務めたこともある。バラエティ番組の司会を担当するようになってから、「いっつみい」というニックネームがついた。本人も「司会は“いっつみい”、逸見政孝です」と自己紹介をする番組も多かった。メディアでの「ユーモア」も評価を増し、平成3年(1991年)には『ゆうもあ・くらぶ』主催のゆうもあ大賞が授与された[10]
個性が全く異なる大物お笑い芸人、タモリビートたけし明石家さんまからなるBIG3を完璧に制御することのできた唯一の人物として、また日本を代表する「名(迷)司会者」として、知られている。特にビートたけしとは親交が深く、たけしと逸見家とは家族ぐるみの親交があり、たけしの弟子の集団であるたけし軍団も、息子の太郎とは、太郎のデビュー前から共に草野球を行うなど、親交が深い。なお、逸見は著書で「『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』と『たけし・逸見の平成教育委員会』が自分にとって一番思い入れのある仕事である」と述べている。また、BIG3との共演に関して「あれ(=BIG3の仕切り役)だけは絶対誰にも譲らない」と語った(実際には、1990年の『テレビ夢列島』では全コーナーをフジテレビ所属のアナウンサーが進行したため、逸見の大学と職場での先輩にあたる露木茂が進行を担当したが、それ以外はすべて逸見が進行を担当。なお、露木は1996年にも進行を行った)。また、『夜も一生けんめい。』では、音痴でありながらも精一杯に熱唱していた[11]
順調に仕事をこなす中、1992年11月には世田谷区奥沢の131の土地に12億円(当時)のイギリス風の大豪邸を築きあげた。同時に大阪に居住していた両親を呼び寄せ、旧宅に住まわせた。
後述の通り、俳優業も時折行った。
司会者としての地位を確立したこともあり、解答者として他のクイズ番組に出演することはほとんどなかったが、1993年春のTBSオールスター感謝祭』に、自身が司会を務める『逸見のその時何が!』の解答者として出演、この時が最初で最後の出演となった。同年7月『マジカル頭脳パワー!!』にもゲスト解答者として出演している。
1993年8月1日、目黒のカトリック碑文谷教会で催された、設楽りさ子三浦知良の披露宴で司会を務めた(媒酌人は、渡邉恒雄夫妻)。
「アナウンサーの仕事の中で一番好きな仕事は何か?」と質問された逸見は「インタビュー」と答えている。実際に『夜も一生けんめい。』や『いつみても平平凡凡』などの仕事を経て「同じインタビューでもタレントの聞き方とアナウンサーの聞き方はまったく違う自負がある」と発言。また、「『夜も一生けんめい。』で下手な歌を歌っていられるのもその前のインタビューのパートではきちんと仕事をしているという自信があるからだ」とも発言している。逸見は「自然体だが鋭く切り込んでいく」スタイルのインタビューを理想としていた。自らが取材やインタビューをする立場を経験していることもあり、逆に取材やインタビューを申し込まれた時には極力受けるようにしていたという。ただし、インタビューへの思い入れの強さもあってか、特に若手の記者・インタビュアーへの評価はかなり厳しかった[2]
一般的に「マジメ」と思われていた逸見だが、著書『新版 逸見政孝 魔法のまじめがね』では山城新伍とビートたけしの親友2人が揃って「マジメだとは思わない」と述べた。山城は「必要以上に人に気を遣う人。良しにつけ悪しにつけテレビ人間と思える節がある。もう少し無責任になった方がいい」と述べた。また、直接「もう少し悪人になってもいい」とアドバイスしたこともあるという(本人は笑って否定したという)。たけしは「逸見さんみたいな人は、今だからマジメと言われるだけで、昔なら不マジメ。昔は一つのものに集中する人がマジメだったが、逸見さんは色んなことに夢中になっているからね」と述べている。
NHK連続テレビ小説青春家族』に出演した際、逸見の演ずる岩井一之はアメリカに永住してビデオレターを送ったりもしたが、アルコール依存症で途中帰国するという役設定だった。また、この役柄設定は業務提携していた三木プロダクションの三木豊(生粋の酒飲み)常務をモチーフにしたものである(三木治著書『天国へのメッセージ―逸見政孝 その出会いから別れまで』(1994年7月刊)で述べている)。
晩年では、NHK『NHK紅白歌合戦』の司会を目指していた[12]。なお実際、1991年前後には紅白の白組司会の候補に挙がっていたとされる[13]
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[4]前ページ
(1.2.局アナ時代)
[6]次ページ
(1.4.家族に対する姿勢)

2. 自著『魔法のまじめがね?ブラウン管は思いやり発信局』文芸春秋、1989年、14、15頁
9. 三木治著書『天国へのメッセージ―逸見政孝 その出会いから別れまで』によれば、逸見自身はフリーになる前に『なんてったって好奇心』の司会継続を望んでいたが「退社した人間を複数の番組に起用するのは社風に反する」という当時のフジテレビの意向で『スーパータイム』のみ継続となった。また『スーパータイム』を1年で降板した理由は「報道アナウンサー時代に10年間ポケベルを持たされ、それに振り回される生活をフリーになっても続けたくなかった」ことであり、降板発表の記者会見でも「これでポケベルを持たずに済みます」と発言していた。
10. ゆうもあ大賞 歴代受賞者 - ゆうもあ・くらぶ 公式ページ。
11. ただし、逸見はカラオケに関しては師匠について習ったこともあるという本格派であり、同番組のリハーサル中の逸見の歌唱については「意外と上手い」と共演者たちが口を揃えて評価している(『逸見政孝さんの生きかた?48年の人間記録 あなたは新たなる自分を発見する』、74頁)。
12. 牧山泰之『想い出の紅白歌合戦』、32頁。
13. 1991年に『ザテレビジョン』が誌上で「紅組司会:山田邦子、白組司会:逸見」と同年の『第42回NHK紅白歌合戦』の両軍司会の人選予想を行っていた。

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出典:Wikipedia
2017/09/01 23:00
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