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ミハイル・レールモントフ
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1.生涯
1.5.士官学校時代、社交界での生活
レールモントフ自身は士官学校時代の2年間を「恐怖の2年間」と呼び[24]、飲酒、カードなどの放蕩に耽りながらも文学との関わりは保ち続けていた[25]。軍事教練の合間を縫ってプガチョフの乱を題材とした歴史小説『ヴァジム』の執筆に取り組んだが、小説は未完に終わる[24]。レールモントフは1834年に士官学校を卒業した後、ツァールスコエ・セローに駐屯する近衛騎兵連隊に配属される。

上流社会に嫌気がさし、一度中断していた創作活動を再開する[24]1835年に戯曲『仮面舞踏会』を書き上げるが、上流社会の偽善をつまびらかにした作品であったため、上演は許可されなかった[19]

1837年に詩人プーシキンが決闘で落命する事件が起きる。プーシキンの死を悼んだレールモントフは詩『詩人の死』を書き上げ、プーシキンの才能と勇気を称賛するとともに、彼の死を招いた上流階級を痛烈に批判した[25]。プーシキンの死を悲しむ人々は『詩人の死』に込められた怒りに共感し、『詩人の死』は政府の厳重な監視をすり抜け、筆写によって全国に広がっていった[26]。皇帝ニコライ1世の側近を弾劾した『詩人の死』を発表した結果レールモントフは逮捕、投獄され、約1年間カフカースに左遷される[10]

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(1.4.モスクワ大学時代)
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(1.6.カフカースへの流刑)
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出典:Wikipedia
2019/08/19 13:30
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