ホロコースト
▼人気記事ランキング
3.経緯
3.12.戦時中におけるホロコースト情報
ドイツはホロコーストについて一切公式の発表をしなかったが、ドイツ占領下にある地域のユダヤ人が大量に消息を絶ったことは連合国にも漏れ伝わっていた。1942年5月のニューヨーク・タイムズ紙はバルカン半島において10万人のユダヤ人が殺害されたと報道し、6月26日のボストン・グローブ紙はポーランドにおいて70万人以上のユダヤ人が殺害されたと報じた[85]。また、ロンドンのポーランド亡命政府もユダヤ人殺害に抗議を行っている[86]。6月29日には世界ユダヤ人会議が100万人以上のユダヤ人が殺害されていると発表し、ナチス・ドイツによる「ユダヤ人絶滅計画」の存在を訴えた[87]。世界ユダヤ人会議の報告書を見たアメリカにおけるユダヤ人指導者の一人スティーヴン・サミュエル・ワイズは、国務次官補に救済を求めた。11月24日、国務省はワイズに報告書が正しいと認め、ワイズはこの報告書を公表し、ホロコーストがアメリカで公式に知られるようになった[87]。この報道はアメリカのユダヤ人社会に衝撃を与え、かねてから高まっていたシオニズム運動、つまりパレスチナでのユダヤ人「コモンウェルス」建設の動きを加速させ、アメリカ政府による「イスラエル建国」承認につながることとなった[88]。12月17日には西側連合国が「ドイツ政府がヨーロッパにおいて野蛮なユダヤ人絶滅政策を行っている」と公式に批判したが、国際世論に与えた影響はほとんどなかった[86]

ただし、これらの公的な動き以前に、ドイツ警察の無線を解読していたイギリスやアメリカにホロコーストに関する情報が渡っていたが、彼らがさまざまな事情からその阻止に動かなかったという指摘も行われている[89]。また、ハンガリー占領後にはユダヤ人移送政策が明らかとなり、教皇ピウス12世、スウェーデン国王グスタフ5世国際赤十字社連盟総裁などが非難・懸念をする声明を行っている[90]

ドイツ国内においては一般国民のおよそ三分の一が、ユダヤ人が大量に犠牲にされているという情報や噂を聞いていたとも言われている[91]。たとえばスターリングラード攻防戦後には、「ユダヤ人大量虐殺(ジェノサイド)の報復として、ソ連軍が捕虜を殺害する」という噂が流れている[92]。大戦後に行われた市民に対する調査では、これらの「犯罪行為」をニュルンベルク裁判開始後にはじめて知ったという回答が全体の3分の2を占めた[93]

ユダヤ人関連団体の中にはユダヤ人を救出するため、ドイツと交渉する者もあった。ブダペスト・ユダヤ救済委員会は、100万名のユダヤ人を救出する見返りとしてトラック1万台などの物資提供を申し出た[94]。アイヒマンはヒムラーの支持を受け、この交渉に乗ったが、ユダヤ救済委員会のメンバーが連合国によって拘束されたために交渉は頓挫した[94]

[4]前ページ
(3.11.ゲットー蜂起と強制移送の活発化)
[6]次ページ
(3.13.解放と終戦)
~目次に戻る
出典:Wikipedia
2019/06/09 09:30
ソ人気記事ランキング
2019/08/25 更新
 1位日本
 2位文京区幼女殺人事件
 3位飯田祐基
 4位名古屋小6受験殺人事件
 5位山本美香
▲上に戻る
[9]Wikipediaトップ
[0]gooトップ
免責事項
(C)NTT Resonant